【GoTo書店!!わたしの一冊】第8回『労働法の基軸 学者五十年の思惟』菅野 和夫 著/石嵜 信憲
“大著”の真髄理解に
著者である菅野和夫先生が1985年に上梓した『労働法』は、以来30年以上にわたって改訂が重ねられ、現在は12版・1200頁を超える大著となっており、労働実務に携わる実務家、労働法を学ぶ学生にとって必携の基本書として親しまれている。ある法分野の代表的な概説書(基本書)を学ぶ際には、その著者の人となりや考え方を学ぶことは有用であるが、本書は、菅野先生の人物史を読者が追体験できるような感覚で読み進めることができ、『労働法』を真の理解にするために大変有意義な内容となっている。
菅野先生の生い立ちから公職を退官・退職された75年間の歩み(人物史)が描かれている。第1章「ふるさとから東京へ」に始まり、「労働法学へ」、「菅野労働法学」、「労働政策への関わり」、「労働委員会での労使紛争処理」、「国際人として」、「大学人として」、「JILPTの調査研究に参加して」、「研究者生活を通じて」、そして終章「労働法五十年の変化をみつめて」の10章から構成されている。様ざまなフィールドにおける経験と思索が、菅野労働法学として『労働法』の中に凝縮されていることを認識することができる。
また、労使のバランスをとる(均衡点を探る)という意識をもって労働法学の理論化に取り組む姿勢が述べられている。この点は、労働審判制度の創設などについて菅野先生とご一緒してきた、労働側の鵜飼良昭弁護士、経営側の当職においても同じ思いである。この労使のバランスについて、公益代表である研究者、労働側、経営側でその均衡点がどこにあるのかは三者三様であるが、それぞれの均衡点が各々の許容範囲にあり、または、そうなるよう努力したからこそ、法改正や労働審判連絡協議会の設立などにおいても三者間で協力関係が築けたのだと考えている。
労働法の諸問題に取り組むに当たり、歴史に学ぶこと(過去の経緯を知り、現在の状況を把握して、将来の解決につなげる)の重要性も説かれている。労働法は、人と社会のつながりの中で培った慣行を通じて発展してきたものである。法改正によって、このような慣行、すなわち過去の経緯や関係性を切断できるものではない。
昭和の労働実務では、企業内の問題はその企業風土と人間関係で処理され、法の支配や法令遵守(コンプライアンス)は意識されていなかった。しかし、平成、令和に至る今日では、企業内の労務管理においてもコンプライアンスが意識され、とりわけ使用者が労働者の命と心の健康を守る対策を取ることは社会的要請として実務が展開している。このような雇用社会の移り変わりを鋭く考察したうえで、今後の労働法上の諸問題を考えるに当たっては、問題の歴史的経路に照らして考えることや法律学の論理的思考を全うすることなどが研究者としての念願であるとされ、最後が締めくくられている。
とりわけコンプライアンスが重視され労働法の遵守が重要な経営事項となっている今日において、このような菅野労働法学の感性を学ぶことは、今後の雇用社会における実務対応を検討するうえで大変有益であると思う。
選者:石嵜・山中総合法律事務所 代表弁護士 石嵜 信憲
同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。