【GoTo書店!!わたしの一冊】第12回『戦後日本流通業のイノベーター ファミリービジネスの業種転換事例』上野 善久 著/荻野 勝彦

2021.03.25 【書評】
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“世襲”の再評価も必要か

上野善久著、サンライズ出版刊、2400円+税

 大正6年、近江で酒蔵を営む旧家から一人の野心あふれる若者が上京し、酒類販売業に進出した。“戦後日本流通業のイノベーター・上野久一郎”だ。

 当時の東京で人気のあった灘や伏見の名門酒蔵は、新参者は相手にしておらず、久一郎は地酒を扱うことを考えた。ブランド力で劣ることを逆手に取り、飲める店を絞り込んで稀少価値を生み出したのだ。献立は短冊に書いて壁に貼る、冷や酒は一合枡に小さなグラスを入れて溢れるくらいに注ぐなどの経営ノウハウも考案した。

 当時は斬新なものだったこの居酒屋スタイルは大ヒットとなり、戦後の復興期にあって山手線駅前の一等地を持つ地主たちが争って開業することとなった。すると久一郎は店舗経営に必要な店員や調理人の育成発掘にも取り組んだ。今の言葉でいえば、プライベートブランドやフランチャイズ展開に近いものだ。本書の前半では、こうした久一郎の様ざまなイノベーターぶりが紹介されている。

 後半では、久一郎の次男・上野善章が登場する。善章の経営手法は、徹底した労使関係重視だ。ただでさえ重量物を扱う酒販業、しかも人手不足の時代にあって長時間労働も不可避となる。従業員の定着を図るには、何より高給で優遇し、福利厚生を大企業並に充実させることが必要だった。善章本人やその家族も3食を社員食堂で社員と共に食べるなど、家庭的な気風も醸成していった。

 現在、中小企業の後継者難が課題となっている。東京商工リサーチの調べによれば、2020年の「後継者難」による倒産は370件と、調査開始以来最も多い。「業績不振の企業は、同族の継承や後継者育成が進まず、事業承継が後手に回っている」などとも指摘する。

 一方で、新規起業の促進は20年以上にわたって政策的に推進されてきた。イノベーションの母体としての期待が集まる新規起業だが、残念ながらわが国の開業率は諸外国に較べると依然として低水準に留まっている。

 「事業の継続」と「イノベーション」に対して、ファミリービジネスが寄与できる可能性は大きいと、著者は考えているようだ。ポイントは①意思決定のスピード、②ステークホルダーへの説明責任、③事業の永続性への強い意志の3点で、なかでも特徴的なのが③だろう。これが存在することで、環境変化に対して柔軟な対応が必然的に求められ、それがイノベーションを生み出すというわけだ。加えて、事業継続の面でも、後継者候補を経営者とするべく長期的に育成できるメリットも大きい。善章は大卒後に家業に加わったが、直後に大阪の同業者に出向させられて丁稚奉公的に酒販の現場仕事に従事していた。事業継承を視野に入れた、「帝王学」だったと思われる。

 わが国では評価の低い「世襲」は、諸外国ではむしろ敬意の対象だ。国の将来のために、ファミリービジネスの再評価が必要な時期かもしれず、読み物としても面白い本書をお勧めしたい。

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中央大学 客員教授 荻野 勝彦 氏

選者:中央大学 客員教授 荻野 勝彦(おぎの かつひこ)
大手企業で長年人事労務に従事。「労務屋」のペンネームで執筆するブログでもお馴染み。

同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。

令和3年4月5日第3299号7面 掲載
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