【GoTo書店!!わたしの一冊】第14回『明石家さんまヒストリー1 1955~1981 「明石家さんま」の誕生』エムカク 著/角田 龍平
半生は不要証事実か!?
民事訴訟では、原告の主張する事実について、被告は認否を明らかにしなければならない。認めるか、否認するか、知らないか。知らない場合は、「不知」と答弁する。ところで、事理弁識能力を有する日本人のうち、明石家さんまの存在について「不知」と答弁する者は皆無に等しい。にもかかわらず、さんまの人生について詳述した書籍は、本書が刊行されるまで存在しなかった。
一般人に知れ渡っている事実は「公知の事実」として、訴訟において証拠によって証明するまでもない「不要証事実」とされる。40年に亘ってテレビに君臨する「国民的お笑い芸人」は、私生活をマスコミに報じられることも多い。公私共に可視化されたその人生は、もはや「公知の事実」として証明する必要のない「不要証事実」なのだろうか。
さんまがテレビデビューした1976年に生まれた私は、幼少期にその存在を認識してからというもの、絶え間なく人を笑わせ続ける稀代の芸人を「笑いの永久機関」と定義していた。永久機関とは、外部からエネルギーを受けることなく仕事を行い続ける装置をいう。永久機関はエネルギー保存の法則に反して不可能とされているが、人知を超えた「お笑い怪獣」なら物理学の原理原則を破ってもおかしくない。
しかし、私の仮説は見当違いだった。本書は、「明石家さんま」の誕生に不可欠だった外部のエネルギーの存在を明らかにしている。いつも一緒に人を笑わせて、近所の住民からさんまを含めて「奈良の三バカ大将」と呼ばれた祖父・音一と兄・正樹。奈良商業高校に入学して間もない体育の授業で、本来は上のジャージの中央に付いているはずの「大西」の文字が、下のジャージの股間当たりにくっ付いていた親友の大西康雄。
弟子修行中に東京へ駆け落ちしたさんまを再び受け入れ、人生哲学を叩き込んだ生涯の師匠・笑福亭松之助。笑いのセンスを認め合い、売れない時代にコンビを組んで直営業に勤しんだ同期のライバル・島田紳助。さんまの将来性をいち早く見抜き、人気番組『ヤングおー!おー!』『MBSヤングタウン』に抜擢して、自らの後釜に据えた桂三枝(現・文枝)。
本書を読むと、彼らと過ごしたさんまの瑞々しい青春が鮮やかに蘇る。新聞部が全校生徒を対象に実施したアンケートの「好きな男性芸能人」部門で郷ひろみらと並んで在校生ながらランクインした奈良商のヒーローが、次々とチャンスをものにして正真正銘の芸能界のヒーローになるサクセスストーリーは痛快だ。
本書は、明石家さんま研究に人生を捧げた著者が、27年の歳月をかけて収集した膨大な資料に基づいて、さんまの人生を仔細に叙述している。それゆえ、400頁を超える大著にもかかわらず、さんまが出生した1955年から1981年までしか描かれていない。ちなみに、巻末の次巻予告には、『明石家さんまヒストリー2 1982~1985』とある。唯一無二の芸人の人生は「不要証事実」ではなく、唯一無二の研究家にしか証明できないのだ。
選者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平
同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。