【GoTo書店!!わたしの一冊】第19回『平城京』安部 龍太郎 著/大矢 博子
慕われる上司像は不変
労務、という言葉が使われるようになったのは明治以降だが、もちろんそれ以前も報酬を得て仕事をする労働者はいたし、その労働条件や仕組みを決めたり改善したりという任務もあった。
それが分かるのが、安部龍太郎『平城京』である。飛鳥から奈良への遷都が決まったのが708年のこと。それから僅か2年で新都を造営するという突貫工事の、現場監督を務めることになった男の物語だ。
主人公は、かつて遣唐使船の船長だった阿倍船人。架空の人物だが、新都造営の責任者である実在の阿倍宿奈麻呂の弟という設定になっている。
兄に頼まれて造営準備を始めた船人。しかしなぜか妨害工作が相次ぐ。どうやら遷都を良く思わない者が朝廷内にいるらしい。その黒幕は誰なのか、遷都を阻む動機とは何なのか――という、謀略ありアクションありのエキサイティングな歴史ミステリーだが、ここで注目願いたいのは、新都造営という一大事業を船人がどのように遂行したかという、歴史テクノクラート小説の側面だ。
川を付け替え、山を均し、道を通す。そのためにどれだけの人数が必要か、という計算から始まる。1日に1万人という概算が出たあとは、それだけの人足が寝泊りする小屋を作る。どのような小屋が適しているか設計を頼む。そのためにはどれほどの材木と葦が必要かを計算する。
わあ、そこからか! と仰け反った。準備の準備の準備、あたりからもう仕事は始まっているのだ。
刈り取った葦を実作業が始まるまで各家に保管してもらうため謝礼を払うのだが、予定が遅れて期日を過ぎても引き取れない。すると保管していた葦を捨てる者が出始めた。さあ、どうするか。
あるいは千人の人足たちから出る食事や待遇についての希望を、どう処理するか。
立ち退き交渉もしなくてはならない。新都予定地に住む者に代替地と移転費用を与えて移動を頼むが、その場所にある古墳は動かせないと反発される。そりゃそうだ。
果ては、なかなか予定どおりに進まないところに、天皇が視察に来るといい出した。その度に、船人は施主である朝廷や役人と現場との板挟みになって駆け回る。さらには朝廷の中にも派閥があって、言い分が違ったりするのだ。
物語の主軸はあくまで遷都妨害の黒幕探しだ。しかし、船人の現場監督としての実務描写はなかなか興味深い。当時、労役は税の一環(庸)なので報酬は不要だが、労役日数が決められていて超過した分は支払いが発生するなど、意外と細かくルールが決められていたことには驚いた。
何より、立ち退き交渉の相手や現場の人足たち、一緒に働いてくれる運送を担う者や人足を指導する者たちから、どう信頼を得て、協力してもらうのかが読ませる。
当時と今では考え方も政治の仕組みも異なる。しかし、国家事業だから従うのが当然とばかりに権威を笠に着て人を動かそうとする者よりも、労働者と同じ目線で問題に立ち向かう上司に人望が集まるのは、今も昔も変わらないのだ。
選者:書評家 大矢 博子
同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。