【GoTo書店!!わたしの一冊】第23回『雨の日は、一回休み』坂井 希久子 著/大矢 博子
価値観を変えるには?
知り合いの50歳代の男性がボヤいていた。セクハラやパワハラに対して被害者が声を上げるのは当然だし、それ自体は良いことだと思っているが、炎上した案件のなかには時々、なぜそれがいけないのか分からないものがあるというのだ。
分からないことが怖い、と彼はいう。分からないとは、つまり自分が時代の価値観についていけていない証拠だから。そんな気はなくても、知らない間に自分が加害者になるのではないか。
同じような心配を抱えている人は多いのではないだろうか。だがそれに気付いている時点で、その人は「ついていけている」側だ。セクハラやパワハラだけではなく何事においても、自分は分かっていないと認めることがまず難しいのだから。
その難しさを描いた連作短編集が、坂井希久子『雨の日は、一回休み』である。中高年男性を主人公に、主に職場での苦労を描いた短編が5篇、収録されている。
第1話は、バブル世代の中間管理職・喜多川進が、まったく身に覚えのないセクハラの嫌疑をかけられる場面から始まる。部下の一人が、喜多川の上役に直接訴えてきたのだという。
このご時世、部下との接し方には人一倍気を遣っているのに、誰がそんなデマを流したのか。喜多川は部署に戻ると、課内の女性社員たちを観察した――と、犯人探しのミステリのように物語は進んでいく。
読者は喜多川を襲った理不尽に同情することだろう。だがこの物語はリトマス試験紙だ。セクハラを訴えた部下が誰か、気付く読者は早々に「ああ、これだ」と分かる。気付けなかったら――喜多川と同じミスをしているかもしれない。
本書には他に、女性の後輩に出世で追い抜かれてやる気をなくしたり、定年後にすることがなくて公共マナーを注意して回る「世直しおじさん」になってしまったりという、悩めるおじさんたちが多く登場する。どれもユーモラスで、ちょっぴり切なくて、ついつい応援したくなるおじさんばかりだ。
彼らに共通しているのは、自分の成功体験から逃れられないということだ。自分はこれだけがんばって、会社の中で生き抜いてきたという自負がある。だが現在求められているのは旧来の考え方の否定、つまりその成功体験の否定なのだ。それは自分の人生を否定するに等しい。だから価値観の転換は難しいのである。
本書に登場するおじさんたちは、苦悩の末にそれに気付く。自分が何にこだわっていたのかを知り、何を変えれば良いのかに気が付くのだ。するとそこには以前よりも生きやすい、新しい日々が開けているのである。
ポイントはここだ。
この物語は決して中高年男性を非難するものでも糾弾するものでもないし、性別や世代で人を分断するためのものでもない。中高年男性を含めたすべての人が今よりもっと生きやすくなるにはどうするか、自由を得るためにはどうするかを描いた物語なのだ。
男性の視点を体験するという意味で、女性にもお薦め。対立ではなく理解のための一冊である。
選者:書評家 大矢 博子
同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。