【道しるべ】安全再考 “苛烈な警鐘”を機に省みよう

2011.05.01 【ひのみやぐら】
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 「アンゼン、あんしん」とは真反対の、不安と恐怖感の拭いきれない状況が続いている。大震災発生後1カ月以上を経てもなお、である。通常であればおさまっていいはずの余震が死傷者を出すほどの強い揺れを繰り返し、鎮まる気配がない。

 その天変地異は、かけがえのない人と財産の喪失がいかに人心に打撃を与え悲歎にくれさせるかを如実に示した。さらには我われのなかにありがちな“水と安全はタダ”という感覚や気風が楽観に過ぎる生ぬるい幻想でしかないことを、嫌というほど知らしめている。

 これを“天の鳴らした苛烈な警鐘”と捉えるならば、緊張のうちにある今こそ「安全」の現実について真摯に見つめ直してみなければならないだろう。そのひとつとして、ここでは小欄が常に念頭に置き主テーマとしている「職場における事故災害の未然防止」の有り様を取り上げてみたい。

 まず省みるべきは、“安全は守り”とする心理意識である。身を護る、負傷を防ぐといった表現や語感からくるイメージなのかもしれないが、これが受け身の発想と行動につながっているのは否めない。また、法令上の義務がもっぱら事業者に対して課されているからか“安全はお膳立てされ”ていて“ルールに沿ってやらされるもの”と受け止める風潮が作業現場には少なからずある。

 本来は労働者一人ひとりの「安全と健康を確保」するために実施されるべき日常活動にしても、目的と主旨が理解されないまま形式だけに流れ、ために名実のかけ離れたとみなされる例も多く耳にする。受動的な安全の負の現象はほかにもあって、被災は他人(ひと)ごと、事故は対岸の火事とのんきに構えているなどは、無警戒というより無神経でしかないだろう。

 職場安全の一部にはその種の懸念や危惧を内含させて、解消に至らない実態がある。が、それと対峙すべき施策が後手に回って人命に関わってくる構図は、労災事故も天災と変わりない。

平成23年5月1日第2137号 掲載
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