【GoTo書店!!わたしの一冊】第25回『プロレスまみれ』井上 章一 著/角田 龍平

2021.07.08 【書評】
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プロレスは“社会の鏡”

井上章一著、宝島社新書刊、825円(税込み)

 「私はプロレスというのは、品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。そういう世界で何が起きようと、私には全く関係ない」。

 2021年6月23日、新聞各紙は、ジャーナリストの立花隆が4月30日に死去していたことを報じた。「知の巨人」と謳われた立花の口から冒頭の発言が飛び出したのは、1991年の第22回大宅壮一ノンフィクション賞の選考会議の席上だった。この年、井田真木子の『プロレス少女伝説』が同賞を受賞したが、5人の選考委員のうち立花だけが受賞に反対した。

 京都にプロレス文化研究会というプロレス依存症の老人(通称「プ爺」)が集まる自助グループが存在する。本書の著者である井上章一と共に「プロ文研」の共同代表を務める岡村正史は、著書『プロレスという文化』で、立花の反対理由について次のように言及している。

 〈立花は井田の「完成度、表現力、構成力」をすべて評価している。「井田真木子の書き手としての能力を高く評価することはやぶさかではない」。にもかかわらず、なぜ受賞に反対したのか。「ノンフィクションの評価は、もっぱら作品の出来不出来によってなされてはならない」のであり、「ノンフィクションにおいては、『何を』書いたかが、『いかに』書いたかより以前に大切なのである」。つまり、テーマが悪すぎるのだ。プロレスのような「どうでもいいこと」を描いたこと自体が間違いなのである〉。

 井上は、力道山時代から60年来のプロレスファンである。立花の言に従えば、筋金入りの「品性と知性と感性が同時に低レベルにある人」ということになる。負のトリプルクラウンの称号は、「知の巨人」から「痴の巨人」と認定されたに等しい。専門の建築史・意匠論のみならず、風俗史、美人論、関西文化論などを広く論じてきた井上にとって、30年前の立花談話は到底看過できなかった。本書の最終章のタイトルはズバリ、「私には知性も品性もありません」。日本の知性を代表する国際日本文化研究センターの所長にあるまじき自白は、立花を強く意識したものである。

 本書で、井上はプロレスを「社会の鏡」と定義し、一例として結婚式の披露宴のスピーチとプロレスの類似性を挙げる。披露宴の友人代表のスピーチは、新郎新婦の知られざる顔を公開するという体裁で進められるが、「婚活アプリで四股を掛けていた」などと本当の知られざる顔を開示してはならない。新郎新婦は、危ない話を回避しつつ、会場を沸かせる者を友人代表として選出する。他方、プロレスラーも、本気で対戦相手を潰しに掛かっているポーズをみせるが、事故につながる急所を攻撃してはいけない。相互に相手の受忍限度内の技を繰り出し、試合を成立させるプロレスは、市民社会の縮図なのだ。

 立花の攻撃を受けきったうえで、反撃に転じて『プロレスまみれ』の社会を告発する本書は、井上流のプロレスである。立花が読んだら、どんな受け身を取ったのだろう。

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角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平 氏

選者:角田龍平の法律事務所 弁護士 角田 龍平

同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。

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令和3年7月19日第3313号7面 掲載
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