【道しるべ】ルール万般 “身を護る規準”と銘じなければ
相次ぐ事故発生は、一体なんなのだろう。
京都・祇園で歩行者19人を死傷させる自動車暴走事故があったのが4月半ば。その、およそ10日後には登校中だった小学生の列に無免許・居眠り運転の軽乗用車が突っ込み、3人を死亡させ7人に重軽傷を負わせるという痛ましい事故が起きた。輪禍は続いて29日早朝、群馬県内の関越自動車道では東京方面に向かって走行していた高速ツアーバスが、これも居眠り運転が原因で防音壁に激突。乗客7人が亡くなったほか39人が負傷した。亀岡の暴走事故現場付近の交差点では、2週間も経たない5月9日に乗用車と大型ダンプが出合い頭に衝突、3人が死亡・重体・重傷という事故になった。さらに同月14日には大阪の市道で小学生集団の中の女子児童(1年生)が乗用車にはねられ、幼い命を失っている。
ゴールデンウィークをはさんだ1カ月余の間に、交通事故だけでもこれだけの惨事が大きく報じられた。他にも北アルプス・白馬岳での高齢者遭難、広島・福山市のホテル火災、事故とはいえないものの甚大な被害をもたらした茨城・つくば市などでの巨大竜巻が人々の気持ちを穏やかでないものにした。
しかし、それにしても何故こうも、である。連鎖的に発生した事故の原因はひと括りにはできないが、それぞれの経緯を見聞きする限り、軽重の違いはあれ“ルールの無視・軽視”が透けて見えてきて仕方がない。守って当然の決まり事やら常識を、何のわだかまりもなく度外視ないしはど忘れしてしまうのが世間一般の今の風潮なのか。
そう思うと同種の意識傾向が読者諸氏の労働現場にも及んで、似通った弊風の兆しがありはしないかと気に懸かったりする。今年の全国安全週間のスローガンでは「ルールを守る…」がゼロ災志向の第一歩と強調されている。そのルール、どんな小事に関する決まりであれ、就業時の「我とわが身を護る規準」なのだと銘じ、順守は人のためならず、と考えたい。