【道しるべ】「安全頌」 人命尊重の鮮度が落ちていないか
本誌に寄せられた8年前の論稿を再読する機会があり、そこに綴られた安全観と問題意識に今においてもなおの感を覚えた。小欄に収まる限りで、原文の幾部分かを紹介してみたい。
タイトルは「安全頌(しょう)」。冒頭に、軍需工場の部門長だった岳父(妻の父)が大事に保管していたという安全頌の一部が転記されている。『一瞬の油断は忽(たちま)ちにして身を毀(やぶ)り人を傷つく。切々の注意、念々の緊張、安全第一こそ我等の信条なれ。父母あり我等の安らけきを念じ、児女あり我等の恙(つつが)なきを待つ』。
トップのヒューマンな人命尊重の意思に新鮮さを感じた筆者は、自身を取り巻く環境状況を顧みながら、以下のように“直言”している。
『昨今の名だたる企業での事故・災害の多発は、現場最前線の課題を直視する視点がかすみ始めた結果によるものと思えてならない。どんなに安全設備を整え、管理をシステム化しても最後は現場最前線の人たちが災害発生プロセスを遮断しているのである』
『長引く不況により企業は短期的な成果を追い求め、生産プロセスの評価を置き去りにする傾向が続いている。このような風潮が続くことにより、生産現場における最悪の事態(事故・災害)でさえ想定することを忘れ、何も起きないことを前提とした楽観主義で安全管理が行われることが恐ろしい』
『人を大切にするヒューマニズムに支えられた技術者を養成する努力を怠り、ものづくりの基礎となる安全管理技術を身につけた人づくりが停滞し始めていることを感じる。……最悪の事態を常に想定する習慣、回避する能力を備えた経営陣・技術者への教育が急務である』
――抜粋した論文の執筆者は、本誌今号のインタビューでNPO立ち上げについて語って下さった浮田義明さん(2004年当時は建設会社支店・労務安全部長)。そこには、10年以上にわたって構想を温めてきた「安全技術ネットワーク」設立の動機の一端が書き残されている。