【GoTo書店!!わたしの一冊】第26回『高瀬庄左衛門御留書』砂原 浩太朗 著/大矢 博子

2021.07.15 【書評】
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清廉な五十路を活写

砂原浩太朗著、講談社刊、1870円(税込み)

 今月14日に第165回直木賞が発表された。――といってもこの原稿を書いているのはそれより前。現時点では受賞作は分からない。私の予想では澤田瞳子『星落ちて、なお』が最有力なのだが、さて結果やいかに。

 受賞作が決まると華々しく報道され、色々な媒体で作品が紹介されるが、それと同時に他の候補作への言及はぐんと減る。致し方ないとはいえ、これはたいへんもったいない。その中に自分にとって受賞作以上に肌の合う作品があるかもしれないのだから。

 そこで今回は、候補作の中から私のお薦めを紹介しよう。砂原浩太朗『高瀬庄左衛門御留書』。著者はこれがデビュー2作目、直木賞候補入りは初という時代小説界の新鋭だ。

 神山藩で郡方(農村担当の役人)を務める高瀬庄左衛門は、息子にお役目を引き継いで隠居目前。ところがその息子が急死し、当時としては老齢の五十路で現場に復帰することになった。

 農村を回り、暇な時は好きな絵を描き、実家に戻した息子の妻が時々絵を習いに訪れるという穏やかな日々に慣れた頃、ある私闘に巻き込まれたのを端緒に運命が動き出す。

 農村の強訴や藩の政争など大きな事件もあり、その顛末も精緻な伏線と鮮やかな結末で実に読ませるが、本書は何より庄左衛門の描写が素晴らしいのだ。

 50年も生きてくれば後悔もあるし取り戻せない過去もある。それもすべて自分の一部と認め、その上に今の自分がいることを受け入れる。自分が正しいと思ったことをただ誠実にやり抜き、困難な立場になっても保身に走らず我欲に囚われず覚悟を決める。常に飄々として怒らず騒がず欲しがらず、出会いを大切にし、誰に対しても笑顔で向き合う。

 庄左衛門はいう。

 「人などと申すは、しょせん生きているだけで誰かのさまたげとなるもの」「されど、ときには助けとなることもできましょう……均して平らなら、それで上等」。

 心が洗われるような気がした。彼の清廉で穏やかな生き方は、今の社会が忘れてしまったとても大切なものを思い出させてくれる。自分もこう生きられるのではないか、こう生きたいと、一度立ち止まらせてくれるのだ。時代小説だからこそ描ける美しさがここにある。藤沢周平や葉室麟の世界を彷彿させる、今年必読の一冊だ。

 と、ここまで書いてふと不安になったのだが、本書が受賞してたらどうしよう?随分マヌケなコラムになるのではなかろうか。

 えっと、その時は澤田瞳子『星落ちて、なお』をどうぞ。絵師・川鍋暁斎の娘を描いたもので、芸道小説であるとともに父と娘の関係という普遍的なテーマを持っている。

 いやいや、どうせなら候補作をすべてお読み戴きたい。一穂ミチ『スモールワールズ』は心に沁みる短編集、呉勝浩『おれたちの歌をうたえ』は昭和の事件を追うミステリー、佐藤究『テスカトリポカ』はエキサイティングな犯罪小説。気に入るものが必ずあるはずだ。賞は作家を称えるものであると同時に、読者が未知の作品に出会うきっかけの場所でもあるのだから。

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書評家 大矢 博子 氏

選者:書評家 大矢 博子

同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。

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令和3年7月26日第3314号7面 掲載
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