【GoTo書店!!わたしの一冊】第30回『火定』澤田 瞳子 著/大矢 博子
奈良時代のウイルス禍
8月半ば、新型コロナウイルスの感染者がついに1日で2万人を超えた。ワクチンを打った世代の感染者・重症者が減っているのは僥倖だが、入院もできなければ救急車を呼んでも搬送先がないというこの状況は、異常という他ない。
そのまま自宅で容体が急変して亡くなったなどのニュースを聞くにつけ、これが21世紀の社会のシステムなのかと暗澹たる気持ちになる。医療従事者の負担もいかばかりか。
感染症の流行に対して公的なサポートが満足に受けられず、被害が増して現場に大きな負担を強いた例はこれが初めてではない。奈良時代、天平7年から9年にかけて天然痘が大流行したのだ。
その様子を描いたのが、澤田瞳子『火定』である。
民を救うために光明皇后の発案で建てられた施薬院と悲田院。だが出世に無関係な場所として官僚たちは逃げ出し、町医者たちの献身で成り立っていた。
そんな折り、遣新羅使が持ち込んだ天然痘が都へと広がった。今までにみたことのない症状に、手をこまねく医者たち。激しい苦しみの様子や、夏の暑さで腐敗する遺体の山など、その描写は酸鼻を極める。
疫病は身分を忖度しない。政権の中枢にいた藤原四兄弟も天然痘に倒れる。薬も情報も貴族に独占され、施薬院には回ってこない。
ただでさえ貧しい暮らしに疫病が追い討ちを掛け、庶民には不満が溜まるが政治は何もしない。その不満は、疫病が外からもたらされたものだとして新羅の民に向けられ、暴走する。また、この神を拝めば病にかからずに済むというお札を売る者まで現れる。分断と差別とパニック。
そんな中、施薬院の医師たちは懸命に救命に励むのだ。自らも感染の危機に晒されながら、ひとりでも救おうとするその姿勢。救えずに絶望し、どうせ死ぬのなら命とは何なのだと懊悩する姿。
物語の終盤、これ以上感染を広げないために、ある人物が選んだ方法には背筋が寒くなった。2度と繰り返してはならない歴史が、ここにある。
極限状態で、人はどこまで浅ましくなるのか。あるいは、どこまで尊厳を忘れずにいられるのか。その境目はどこにあるのか。この物語は、そんな問いを読者に突きつける。本書が書かれたのは2017年だが、まさに今こそ読んでほしい歴史小説だ。
ただ、この時代、国の援助が足りなかったとはいえ、最初に流行した九州では税を免除するなどの政策がとられていた。また、人数や症状などの記録が残っているのは、当時、疫病発生時には朝廷への報告義務が律令で定められていたからだという。それが後世の助けになった。
長年続いた藤原氏による政治から聖武天皇を中心とする皇族政治に代わるきっかけとなったのも、このパンデミックである。
今はどうか。重症の基準が国と東京都で違っていたり、自宅で亡くなった方の人数を厚生労働省が把握してなかったりという報道もある。いまだ出口はみえない。政治はどう動くのか。せめて奈良時代からは、少しは進歩した社会であってほしいのだが。
選者:書評家 大矢 博子
同欄の執筆者は、濱口桂一郎さん、角田龍平さん、大矢博子さん、スペシャルゲスト――の持ち回りです。