【道しるべ】潰滅の年 心に留めたい「想定外」の空しさ
本誌連載『うんちく歳時記』の筆者が、締めの稿でこう書いていらっしゃる。平成23年は辛卯(かのとう)で穏やかな春の季節とされる年のはずが……大震災と原発事故。漢字で表すなら、震・激・乱・悲の年でした――。
3月11日午後2時46分、東北地方太平洋沖に発生したマグニチュード9.0、最大震度7の地震とそれにつづく大津波は2万人超の死者・行方不明者を出し、沿岸市町村を潰滅状態に陥れた。そのときの、凶暴な生き物が襲いかかるような波涛の猛威と激烈さは、録画映像を何度見返しても恐怖感しか抱かせない。
大震災との遭遇は被災地はもとより遠隔生活圏にもさまざまな混乱を生じさせ、天災地変に対する備えの脆弱さを露呈した。そこでは我われにありがちな気風、安全全般を楽観的に捉える感覚が甘ったるい幻想にすぎないことを痛烈に知らしめている。
また、福島第1原子力発電所での爆発事故による放射能汚染問題は“安全神話”への信頼性を根底から覆した観があって、今なお人々を混迷の中に置いている。
原発に限らず、大震災発生直後には最悪の事態を「想定外」の抗しがたい災禍とみなす向きが多分にあった。しかし、そうと受け止めるしかない側面があったとしても、すべてを安全の及ばぬ範囲と断じてしまうわけにはいかない。過去に習っての防御態勢、重大事故を想像しての防止対策、それが必ずしも十全でなく、逆に軽視して手を下さなかった実情なども明らかになっているからだ。
時間の経過とともに「わずかな危険性までも公にすることは、却って不安を募らせるだけと考え……」といった愚かな反省の弁も聞こえてきたりしているが、被災者にとっては悲憤と空しさしか感じさせない言葉だろう。
この年に起こった種々の潰滅・崩壊現象が残していった課題は多い。とりわけ諸般にわたるリスク評価の有り様には、想定外を許さない厳格さが求められている。来年はそれを心に留め“空疎な安全”の一掃を期する年にしたい。