【見逃していませんか?この本】世界中を席巻する「手品師のトリック」/ジグムント・バウマン『自分とは違った人たちとどう向き合うか 難民問題から考える』
ジグムント・バウマンといえば、日本で比較的よく知られている社会学者の一人だ。
惜しくも今年1月9日に91歳の生涯を終えた。
これまでの著作でも述べられているが、バウマンの経歴とその問題認識は、切っても切れない関係にある。ポーランドのユダヤ人家庭に育ち、ワルシャワ大学で社会学を学び、同大学の講師になったものの、1960年代末に第三次中東戦争をめぐり「反動的」だとして大学を解雇。イギリスに亡命してそこで教鞭をとることになった。故国を追われた者なら誰もが突き付けられる、アイデンティティの問題に直面してきたのである。
本書もそのような体験を経た稀有な知性から生み出されている。
副題だけを見ると、難民問題にだけ焦点を当てた内容に思われるかもしれないが、第3章「強い男(女)の指し示す道」では、ドナルド・トランプ米大統領や、フランス大統領選挙を控えた国民戦線のマリーヌ・ル・ペン党首など、移民排斥などを打ち出す政治家が支持される背景にも言及しており、現在世界中で起こっている現象を読み解く最良のテキストになっている。
例えば「安全保障化(securization)」という新たな動きについて、「計算された手品師のトリックであり、不安を、政府が対処できない(あるいは対処に乗り気でない)問題から、熱心にそして(ときには)首尾よく対処できそうな(連日テレビ画面に登場する)問題にシフトさせることも含んでいる」と指摘する。つまり、どこの国民も例外がなく抱えている「生存に関する不安」こそが本質的に解決すべき問題なのであるが、感情に直接訴えかけやすい治安の強化や軍事力の問題へと関心をずらすのである。政策的な努力を放棄して社会保障の切り捨てを進める一方で、「移民はみなテロリスト」と叫ぶ指導者が分かりやすい。
オフラインとオンラインの世界に対する分析も鋭い。
オフラインの世界ではユーザーは「支配される側」であるが、オンラインの世界では「支配する側」になることができる。それが「この世界の苛立たしいほどの複雑さ」に対する不満や欲望のはけ口になっている。
「手品師のトリック」に振り回されないためには、自分たちの不安ととくと向き合わなければならない。(N)
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伊藤茂訳、青土社・1944円/Zygmunt Bauman ポーランド出身の社会学者、イギリス・リーズ大学名誉教授。『リキッド・モダニティ 液状化する社会』『コミュニティ 安全と自由の戦場』など