【本棚を探索】第2回『言葉を失ったあとで』信田さよ子・上間陽子 著/三宅 香帆
日常から遠い「聞く」機会
カウンセリングを生業にする臨床心理士である信田さよ子さんと、沖縄県で非行少年・少女を相手に社会調査を続けてきた上間陽子さんが、「言葉を聞くこと」について語った対談集である。ふたりは性暴力加害に向き合い、その加害者と被害者の言葉を聞くことを仕事にしているなかで感じることを共有していく。そして辿り着くのは、加害者としてやってくる男性たちの、言葉の傾向だった。
読む前は、興味があった。果たして、たとえば家族に対して虐待を行っているような男性がカウンセリングへ来た時、どのような言葉で自分を語るのだろう?
しかし、それについて本書は指摘する。彼らは、自分のことを具体的に語る言葉を持たない。どこかで聞いたような抽象的な言葉にすり替えてしまうのだ――と。
本書から印象的な言葉を引く。「自己啓発的なビジネスで生きていて、たまたま家族のなかで役割を果たさなきゃいけないというときに、『それは男性性の問題ですよね~』『やっぱりリスク感覚が違ってるんですね』みたいに話されると、困っちゃうんです。勘違いが多くて」。
愛着関係、自己肯定感、リスク感覚、男性性……。加害者の男性たちが語る言葉は、皆、同じように抽象的なのだという。自分の体験を具体的な言葉に落とし込むのではなく、どこかで見たような言葉にしてしまうらしい。
この話に衝撃を受けた。リスクとか愛着とか、そのような言葉はたしかに本屋にもネットにもテレビにも溢れている。彼らがもし、自分の何かしらの困難の手助けを本屋に求めるならば、そこにある書籍のタイトルには「自己肯定感」なんて書かれてあるのかもしれない。しかしそれは、あくまで一般的な傾向をまとめるための、抽象的に分かりやすく料理された言葉だ。自分の家族を、生きてきた人生を語るのに、そんな言葉しか用意できないのか。そう愕然としたのである。
「聞くこと」を生業とするふたりの語る内容に反射されるのは、いかに日常において私たちが言葉を「聞かれる」機会と「聞く」機会が存在しないか、ということである。たとえば前述した加害者の男性にしても、これまでビジネス的な言葉遣いしかしてこなかったからこそ、自分を表現する言葉を見つけることができなかったのだろう。ビジネスの言葉というのは、基本的には「聞いてもらえない」前提で語られる。聞いてもらえないからこそ、できるだけ要点を簡潔に伝えることが重要視される言葉なのだから。「聞くこと」が、どれだけ社会から遠ざかっているのか、本書を読んで痛感してしまう。
臨床心理士でも社会調査を実施する人でもない読者にとって、それでもこの本が価値があるのは、人間が人の言葉を聞くこと、そして聞いてもらうこととは何か、という問いが立てられているからだ。聞くことの足りない社会の泉に、一粒だけ投げられた小石のような本だと感じた。
(信田さよ子・上間陽子著、筑摩書房刊、1980円)
選者:書評家 三宅 香帆(みやけ かほ)
94年生。会社員としても勤務中。近著に、ドラマや漫画のヒロインから現代社会を考察する『女の子の謎を解く』(笠間書院)。
書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。