【本棚を探索】第3回『会社を綴る人』朱野 帰子 著/大矢 博子
記録改竄指示の結末は?
職場のペーパーレス化、という言葉もすっかり定着した。とくにリモートワークが増えると否応なく文書はデータ化されるわけだが、いやいや、やっぱり重要なことは紙でないと、という考えも根強い。
だが大事なのは紙か電子かではなく、それで何を伝えるかである。なにしろ会社という場所は〈書いて伝える〉という作業が驚くほど多いのだから。
それを痛感させてくれたのが朱野帰子の小説『会社を綴る人』である。
著者は、ドラマ化された『私、定時で帰ります』をはじめ、駅員の仕事を描いた『駅物語』、家事という終わりのない仕事を考える『対岸の家事』など、いわゆる〈お仕事小説〉で人気の作家。本書は社内の様ざまな文書を通して会社を、そして働くということを見つめる物語だ。
主人公は何をやってもダメで、30歳を超えても正社員になれない紙屋くん。半ばコネで老舗製粉会社の総務課に入ったが、あまりのミスの多さに、上司からは何もするなといわれ、同僚からはブログで笑い者にされる始末だ。
そんな紙屋くんが唯一、力を発揮したのが〈書く仕事〉である。忙しさを盾にインフルエンザの予防接種を受けない営業部員に、紙屋くんは「受けて下さい」とメールする。だが無視された。では、どんなメールなら読んでくれるだろう、と彼は考える。
そこから彼は社内の〈書く仕事〉にかかわることになる。営業部が作るプレゼン資料、工場の現場作業員が考える安全標語、申請書、社内報、売上げグラフ、会議の議事録、社史。ルーチンだから、ひな型があるから、体裁だけ整えば――などと多くの社員が深く考えずに書いてきた文書に、新米総務課員の紙屋くんはいちいち真摯に向き合う。
そんな折り、会社では派閥の争いの末に大きな転換期を迎えることに。そしてそこで紙屋くんは、ある記録を〈書き換える〉よう上司から命じられる。
なぜなら書き換えた方が社長は喜ぶから。忖度だ。従わなければクビをほのめかされる。脅迫だ。
悩んだ末、その命令に紙屋くんがどう対応したかが読みどころ。うわっ、そんな手を使うのか、と思わずのけぞった。本書は前半で社内の膨大な〈書く仕事〉を紹介し、会社は文書と記録でできているのだと読者に伝える。そして後半で、その記録の信頼性が揺らいだとき何が起きるかを描いているのだ。
ちなみに本書の刊行は、2018年11月。今もまだ解明されていない大きな公文書改竄問題が明らかになった年である。コミカルで楽しいお仕事小説だと思っていたら、とんだ刃が仕込まれているのだ。
なお、本書は構成にも注目願いたい。(おわり)という文字を見て、うっかり本を閉じてしまわないように。むしろそこからが白眉といって良い。その部分があることで、読者にはより明確に本書のテーマが伝わるだろう。この構成の妙には唸るしかない。
ペーパーレス化が進んでも、媒体が違うだけで社内の〈書く仕事〉は変わらない。それは伝えるためだ。今ここで働いている人に思いを、将来ここで働く人に歴史を、伝えるためだ。その基本に立ち返らせてくれる物語である。
(朱野帰子著、双葉社刊、1540円税込)
選者:書評家 大矢 博子
書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。