【本棚を探索】第7回『ともにがんばりましょう』塩田 武士 著/大矢 博子
労使交渉のリアルを描く
企業小説やお仕事小説は多いけれど、この切り口はかなり珍しいのではないだろうか。塩田武士『ともにがんばりましょう』のテーマは、労使交渉だ。
グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』や、出版界の光と闇を描いた『騙し絵の牙』など硬派な社会派小説の書き手というイメージが強い著者だが、本書は新聞社の労働組合とその労使交渉の様子をユーモラスに綴ったもの。今から10年前、デビュー2年目という初期の作品である。
主人公は地方新聞社に入社して6年目の武井涼。極度のあがり症で、人前でしゃべるのも交渉ごとも大の苦手、もっぱら動物園での暇ネタ探しに勤しむ日々を送っている。「当たり障りなし」が身上の青年だ。
ところがそんな武井に労働組合の委員長・寺内から声がかかる。執行部の教宣部長になるはずだった人物が入院し、急遽代わりが要るのだという。武井は半ば丸め込まれる形で執行委員に加わることになった。
折しも社内は、会社から提示された深夜労働手当の大幅引下げに大きく揺れている真っ最中。組合は一時金要求額獲得と深夜労働手当削減断固拒否という二本柱で交渉の席につく。経営陣対組合、果たして団交の行方や如何に――?
個性的で面白おかしい執行委員たちや、集中学習会でのドタバタなど、序盤はとてもコミカルに進む。そのため気楽に読んでいたのだが、要求決定、会社回答のあたりから少しずつ色合いが変わってくる。団交開始後は、この交渉がどう転ぶのか、どんな作戦でいくのか、先の読めない手に汗握る展開が待っている。
一時金要求額の問題もさることながら、メインは深夜労働手当削減断固拒否の方だ。新聞社という業務の性質上、深夜に働くのは大前提。なのにその手当が削られては生活設計にまで影響が出る。会社は業績悪化を楯に人員を削減し、ただでさえ現場の負担は増しているのに、手当まで減らされてはたまったものではない――というのが組合側の言い分。対して経営陣は時代の流れと減収減益を錦の御旗に一歩も引かない。
これはかつて著者が実際に新聞社に勤務し、労働組合で教宣部長を務めたときの経験がもとになっているという。そのため団交の様子も、新米執行役員の右往左往ぶりも、部署によって要求や熱意にばらつきがあるという現実も、社員と経営陣の板挟みになる執行委員の苦悩も、細部まで実にリアルに描かれているのが特徴だ。息詰まる攻防の中に時々ふっと笑える場面が入ってくるのも良い。
決着に向けての攻防はエキサイティングな頭脳戦が堪能でき、読み応え抜群。だがここで考えさせられるのは、経営陣側の代表である労担が、以前は組合の委員長として会社側と交渉していたという事実である。
同じような構図はどの業界にもあることだろう。立場が変われば、時代が変われば、人は過去を忘れてしまうのだろうか。労使は敵対関係でしかないのだろうか。著者の思いが込められた感動のエピローグに、その答えがある。
あがり症の武井の成長にも注目。自分しか見えていなかった彼が会社という組織を俯瞰で見られるようになる。それこそが労働組合の意義なのかもしれない。
(塩田武士著、講談社文庫刊、814円税込)
選者:書評家 大矢 博子
書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。