【本棚を探索】第14回 『田辺聖子 十八歳の日の記録』田辺 聖子 著/三宅 香帆
現代少女との共通点も
田辺聖子の没後、未公開であった女学生時代の日記がみつかった。1945年から47年にかけて、戦時中に青春時代を過ごした田辺聖子の、瑞々しい言葉たちが収録されている。本書は、その日記を1冊にまとめた著作である。
読んでみると、その言葉の率直さに驚く。彼女の小説のなかに登場していたユーモアもたしかにあるけれど、それ以上に若さゆえの潔癖さが、日記中に響く。自信がなくて、でも周りの大人の間違いが許せなくて、不潔も嫌いで、情緒不安定で、理想を追いかけることに必死な、若さが言葉の端々から溢れている。ものすごく簡単に感想をいってしまえば「あの田辺聖子ですら、こんな時代があったのか」と驚いてしまう。私たちが田辺文学として受け取っていた、寛容さや明るさは、それは決して天性の物ではなく田辺自身が大人になるにつれて努力して得た物だったのかもしれない――とすら思う。
彼女の若い言葉は、とくに戦時中の様子を明瞭に伝えてくれる。たとえば空襲があった日、田辺はこのように日記に記す。
「聖ちゃん、家が……家がやけてしもうた……」
その声は涙で曇って鼻声になっている。私は不覚にも涙がこぼれた。
「あんたの本なあ、たくさんあったのが出してあげたかったんやけど、出すことが出来なんだ……」
私は何にも言えなかった。鼻がじんと痛くなり、涙がぽとぽと水槽の水の上へこぼれおちた。
(72頁から引用)
文学が好きで、将来は国文学者になりたいと勉学への意欲に燃えていた、女学生時代の田辺聖子。彼女にとって、家の本棚がすべて燃えてしまうことが、どれほどの痛みだっただろう。私は思わず涙ぐんでしまった。好きだったオルガンもノートも蓄音機もすべて燃えてしまった。化粧品すら何も残っていない中で、新しい生活を始めなくてはならない。美しいものを好んだ女学生だった田辺にとって、それはなによりも悲しい出来事だった。
そして田辺は、実はかなり熱心な軍国少女だった。日記にはその思想がものすごく率直に綴られる。敗戦を聞いた時は「何事ぞ!」と怒る。その思想は、今読むとかなり極端に感じる。しかし吉川英治を耽読する血気盛んな少女は、日記でためらいなくその想いを吐露していたのだ。
戦後の章では、もう死んでしまいたいといった、繊細な憂鬱についても率直に思いが綴られている。田辺文学を知っている身からすると、「そんなことを考えていた時代があったのか」と驚いてしまう。一方で、その後、『あしながおじさん』を読んでその憂鬱を少し晴らしている様子などは、やはり田辺文学のルーツを感じさせたりもする。
まだデビューしていない頃の田辺聖子は、今の少女たちとそんなに変わらない、憂鬱で、潔癖で、繊細で、夢見がちで、それでもなんとか自分で自分を奮い立たせる少女だった。
彼女の小説のルーツは、実は私たちと同じ場所にあったのかもしれない。だからあんなに未だに読まれる小説を書けたのかもしれない。そんなことを感じさせてくれた、極上の日記文学である。
(田辺聖子著、文藝春秋刊、税込1760円)
選者:書評家 三宅 香帆
書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。