【本棚を探索】第26回『やりなおし世界文学』津村 記久子 著/三宅 香帆
92作の“身近な点”を紹介
世界文学、という大仰な名称に対して、描かれているものは意外とちっぽけだったりする。だって小説なんて、しょせんは人間同士の営みを丁寧に掬い上げたものなのだ。小さな小さな人間の心の襞を、登場人物たちに託す、その行為こそが文学というものだと、本書は思い出させてくれる。
『やりなおし世界文学』というタイトルの「世界文学案内」は、なんと読むだけで92作品もの世界文学を一気にさらった気にさせてくれる、稀有な一冊である。
作者の津村記久子は、芥川賞も受賞した日本の小説家。彼女が世界文学の面白さを、それぞれ「なるほど、こういう面白さを作者は描きたかったのか」と読者が納得するかたちで説明してくれる。小説家による小説案内は得てして面白いけれど、この本の特筆すべき点は、どこか遠いものだと感じてしまう“セカイブンガク”を、意外と身近なものだと分からせてくれる仕組みだろう。
たとえば、本書のなかで取り上げられている、モーパッサンの『脂肪の塊』。私は『脂肪の塊』を読んだことがない。どんな話なのかすら知らない。そんな状態で書評を読んで面白いのか、と一瞬懐疑的になる。しかしそんな心配は無用。作者は昔「『脂肪の塊』を読む」と述べた友人の思い出を語りながら、本の紹介に入ってゆく。こうして、エッセイから入って本の紹介をしてもらえると、読者としても身近に感じやすく、難しそうなフランス文学も「なるほど、そうやって面白がれば良いのか!」とすんなり理解することができる。
あるいは、カフカの『城』。カフカといえば抽象的な物語が多く、どう読んで良いか分からないと思う読者も多い作家のひとりだろう。しかし作者は「これはそんなに難しい話ではない」と一喝する。「『城』は、カフカが『仕事がいつまでたっても進まない』というただ一点を言いたかっただけの小説なのだ」と、端的に読みどころを教えてくれる。そう言われると、「あっ、たしかにカフカの気持ちが分かって来た気がする」と読者はカフカ文学の虜になる道を歩み始めるだろう。
『リア王』(ウィリアム・シェイクスピア)、『ねじの回転』(ヘンリー・ジェイムズ)、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(ジェームズ・M・ケイン)、『パーカー・パイン登場』(アガサ・クリスティー)、『ワインズバーグ・オハイオ』(シャーウッド・アンダソン)――など、タイトルは聞いたことがあるけれど読んだことがない!という書籍が、誰しもおそらく1冊はみつかるはず。具体的なあらすじやキャラクターの紹介はもちろんのこと、私たちの日常生活からそう遠くない、その小説の「身近な点」を作者はあえて教えてくれる。こんな調子で綴られた92冊分の書評が載っているので、一冊の満足感はたっぷり。
名作と呼ばれる世界文学も、意外とちっぽけで地味で些細な人間の悪習をテーマにしたものだったりする。「なんだ、こんなに私たちと同じ悩みを持っていたのか」と目からうろこが落ちる人もきっといるだろう。多種多様な文学を眺め、文学の世界の広さ、深さを知ることができれば、読書を「やりなおす」一歩を踏み出したも、同然だ。
(津村記久子著、新潮社刊、1980円税込)
選者:書評家 三宅 香帆
書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。