【本棚を探索】第28回『水上バス浅草行き』岡本 真帆 著/荻原 裕幸

2022.07.28 【書評】
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無駄に見えるものへ焦点

 ある日、突然、岡本真帆さんの短歌が、ツイッターのタイムラインに流れて来て、ぷっと吹き出してしまった。

 〈ほんとうにあたしでいいの? ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし〉

 という一首だった。告白されたのか、あるいは、プロポーズされたのか、動揺したあたしが、自分自身にだめ出しをしながら、相手の気持ちを確かめる場面だと思われる。その動揺っぷりが愛らしく、ついぷっと吹き出したのである。

 ずぼらはともかく、人生の重大な局面を迎えているのかも知れないこんなときに、所有する傘の本数を問題にする感覚に笑ってしまった。雨の予報も聞かずに外出して、そのたびにコンビニで買った傘がこんなに沢山あるということだろうが、なぜそれをいま、とつっこみたくなる。

 岡本真帆さんの第一歌集『水上バス浅草行き』がナナロク社から刊行された。岡本さんの短歌は、前掲の一首のように、読んで楽しい気分になったり、泣きそうになったり、私の周りにもそういう人いるいるとか思ったり、心が素直に反応できるものが多い。

 〈間違えて犬の名で呼ぶ間違えて呼ばれたきみがわんと答える〉

 実に楽しそうである。間違えられたくはないが、下の名で呼び捨てのような関係性がこの間違いを呼んだのだと思えば、ふたりの親密さが分かるし、咄嗟にわんと答えるそのセンスも素敵だと思う。何か機会があれば(あるのか?)真似してみたいとも思う。

 〈平日の明るいうちからビール飲む ごらんよビールこれが夏だよ〉

 いいご身分だな、とも言いたくなるが、待てよと思う。ビールに語りかける、異常な感じの明るさに、そうか、平日の明るいうちからビール飲まないとやってられないってことか。分かる気もするなあって感じる。明るさから転じて、哀愁に読者を引き寄せる、言葉の使い方が絶妙である。

 〈ここにいるあたたかい犬 もういない犬 いないけどいつづける犬〉

 禅問答のようになっているが、眼前にいる一匹の犬を愛でながら、これまでの、愛犬をめぐる思い出が、次々に胸中を流れているところだろう。いないけどいつづける、が、こころに沁みる。感情の直接的な表現をしなくても感情のかたちが見えている。

 〈まだ何かあるんじゃないかと期待するエンドロールの後の一瞬〉

 世には、映画の余韻にひたるのが好きじゃない人もいるようで、エンドロール時に席を立つ人もそこそこいる。しかし、この人は、最後の最後まで、映画の世界からこの世界の戻るのを拒むように、その先に期待しているのだ。分かる。筆者もそういう一人である。

 タイトルの『水上バス浅草行き』は、なくても生きていける、しかし、それが自分を生かしてくれている存在の象徴だという。文芸など、一見無駄に見えるものの価値を、うまくかたちにして見せている一冊である。

(岡本真帆著、ナナロク社刊、1870円税込)

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歌人 荻原 裕幸 氏

選者:歌人 荻原 裕幸(おぎはら ひろゆき)
1962年、愛知県名古屋市生。87年、第30回短歌研究新人賞を受賞。「東桜歌会」を主宰、同人誌『短歌ホリック』発行人。歌集に『青年霊歌 アドレッセンス・スピリッツ』、『甘藍派宣言』など。最新刊に『リリカル・アンドロイド』。

 書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。

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令和4年8月1日第3363号7面 掲載
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