【本棚を探索】第33回『東西文明比較互鑑 秦・南北朝時代編』潘岳 著/濱口 桂一郎
習近平の歴史観が鮮明に
コロナ禍の収まらぬ現代世界で、プーチンのロシアがウクライナに侵攻し、習近平の中国はウイグルなど少数民族を抑圧し、香港を圧殺し、台湾を恫喝する。そうした帝国主義的行動の背後にある思想や歴史観には、隣国日本の住人として関心を持たざるを得ない。ウクライナ民族の存在を否定し、大ロシア民族の裏切り者とみなすプーチン史観はまだ分かりやすい。しかし、声高に「中華民族」の統一を掲げる習近平史観は分かりにくい。
それをこの上なく明確に解説するのが本書だ。著者は中国共産党第19期中央委員会候補委員で、本書刊行時点では国務院僑務弁公室主任だったが、今年6月に国家民族事務委員会主任に就任した。中国の少数民族政策の大元締めだ。その彼が、戦国時代とギリシャ、秦漢とローマ、中国の五胡侵入と欧州の蛮族侵入、という3つの時代の歴史を描きながら、「中華民族」イデオロギーの正当性を主張する。彼の提示する中核概念は「大一統」だ。人種や宗教の違いによって分裂してきた西欧文明と異なり、中国文明は夷狄と漢族が入り混じって統一をめざして造り上げてきたというのだ。
その焦点は南北朝時代のとりわけ五胡十六国といわれる北方異民族が作った中華風王朝に向けられる。彼が繰り返し説くのは、チベット系の氏や羌、トルコ系の鮮卑、そして匈奴出身の北朝の君主たちが、漢族の南朝よりも「大一統」をめざし、そのために先祖の風習を捨てて漢化に努めたということだ。ローマ帝国崩壊後のゲルマン族の諸国家はキリスト教のみが共通の「複数エスニック集団の分割世界」に堕していったが、「五胡政権の歴史観はこれとは完全に異なる、エスニック集団ごとに隔てられた「天下分割」ではなく、それらが混然一体化した「天下融合」である」と。
潘岳は「五胡は自らを見失ったのか、それともより壮大な自己を獲得したのか」と問う。彼の答えは明らかだ。ウイグルだのチベットだのといったちっぽけなエスニック・アイデンティティにこだわることなく、中華民族という「壮大な自己」に同一化せよ。それが君たち少数民族の真の幸福なのだ、と。古代中国史を語っているように見えて、彼の視線が今日の中国の少数民族政策に向けられていることは明らかだろう。その彼が今や少数民族政策のトップに就任したわけである。
本書の最後の章で、彼は歴史家として日本や欧米の中国史学を痛烈に批判する。白鳥庫吉らの「漢地十八省」論、「長城以北は中国に非ず」論、「満蒙蔵回は中国に属さず」論、「異民族支配は幸福」論――など、「人種をもって中国を解体する」一連の理論が、「現在ではこれが米国『新清史』観の前身となり、李登輝ら台独派の拠り所にもなっている」云々。彼に言わせれば、「中国は1世紀以上にわたって政治と文化の発言権を失い、『中国の歴史』は全て西洋と東洋(日本)によって書かれてきた」が、今こそそこから脱却し、「中華民族の物語はわたしたち自身の手で書かなければならない」のだ。ほとんど賛成できないけれども、今の中国が、習近平がどういう歴史観に立っているかをくっきりと浮彫りにしてくれる。
(潘岳著、アジア太平洋観光社刊、1500円税込)
選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎
書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。