【本棚を探索】第39回『我、鉄路を拓かん』梶 よう子 著/大矢 博子
土木業者の奮闘を描く
今月14日は日本に鉄道が開業して150年の記念日だった。それに合わせてテレビや雑誌でも多くの特集が組まれたため、明治5年に新橋―横浜間で鉄道が運行を始めたときには、芝から品川にかけては海の上に築かれた堤防の上を走っていたことをご存知の人も多いだろう。
煙を上げて海上を走る蒸気機関車――まさに文明開花を象徴するような光景だが、当然その前には、波と機関車が走るに耐え得る堅牢な堤を築くというたいへんな工事が行われた。華やかな成果の前には、文字どおり縁の下の力持ちたちの尽力があったのである。
梶よう子『我、鉄路を拓かん』はその堤を造った土木業者たちの物語だ。
主人公は芝で土木請負人をやっている平野屋弥市。幕末には神奈川の台場の建設や、開国してからは築地ホテルの基礎工事などを手がけた実績を持つ。幕末に勝麟太郎がアメリカで見た「鉄の道を走る蒸気車」の話を聞いて憧れていた弥市は、明治新政府が鉄道敷設を計画していると聞いていち早く手を挙げる。
しかしその工事は茨の道だった。鉄道より軍備を優先すべきと主張する兵部省は用地の提供を拒否。海上を走らせるしかなくなったのである。しかし堤を造れば漁師が困る。田畑を召し上げられた農民も黙ってはいない。さらに路線沿いの旅籠や料理店、商店らは旅人が減ることを危惧し、強固な反対運動を繰り広げたのだ。それは次第に明確な妨害となっていく。
また、複数の土木請負業者が土工・石工・鳶などを手配しているため、職人の間にも派閥や小競り合いが起きる。
工事そのものも一筋縄ではいかない。干潮のわずかな時間帯を狙っての作業。それが夜ともなれば暗闇の中で波に攫われそうにもなる。凍えるような冬の海、嵐で崩れる石……。
自分たちが造っている堤の上を走る「蒸気車」とやらがいったいどんな物なのか、知っている者はほとんどいない。それでも彼らは石を運ぶのだ。
鉄道工事が始まるのは明治になってからなのに、なぜ著者は幕末の平野屋から描いたのか。それはこれが庶民から見た文明開花の裏側だからだ。徳川の時代も新政府になってからも変わらず、庶民は施政者の思惑に翻弄される。皺寄せが来るのは末端の現場で、それでも異を唱えることなどできない。
だが土木業者たちは言うのだ。地震で壊れたものを直すのではなく、この国に今までなかった新しいものを造るのが嬉しい。建物が建ったら見えなくなる基礎工事ではなく、いつまでもそこに見える堤を造れるのが嬉しい。未来を切り拓いて万民のためになるものを造れるのが嬉しいと。
鉄道開業の物語というと鉄道の父と呼ばれた官僚・井上勝やイギリス人技術者モレルの話になることが多い。しかしそこには冷たい海の中で土砂を攫い、崩れる石を何度も積み上げた土工や石工たちがいた。彼らを取りまとめる請負業者たちがいた。
梶よう子には明治維新を商人の目から描いた『お茶壺道中』もある。政治家や官僚だけでは物事は動かない。そこには多くの「現場の人」がいるのだと、梶は訴え続けているのである。
(梶よう子 著、PHP研究所刊、1980円税込)
選者:書評家 大矢 博子
書店の本棚にある至極の一冊は…。同欄では選者である濱口桂一郎さん、三宅香帆さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週おすすめの書籍を紹介します。