【書方箋 この本、効キマス】第3回 『ヴァギナ・モノローグ』イヴ・エンスラー 著/髙橋 秀実
ハートが意味するものは
テレビのスポーツ中継などを観ていると、近頃の若者たちは、決まってカメラに向かってハートマークをつくる。かつては指を2本立ててピースサインを出していたような気がするが、今は両掌を丸めてハートマーク。ハートというくらいなので、てっきり心臓を模していると思い込んでいたのだが、そうではないと教えてくれたのが本書だった。
実は、あれは女性器らしいのだ。なぜなら「左右が非対称な心臓よりも、女陰にずっと形が似ている」から。幼い女子たちが好んでハートマークを描くのは、本能的に自分の体を模写しているのだという。もともと女性器の象徴だったハートマークは「何世紀にもおよぶ男性支配の過程で、力を剥奪され、単なるロマンスに格下げされてしまった」そうなのである。
著者は劇作家で詩人のイヴ・エンスラー。200人以上の女性たちに「ヴァギナ(女性器)」についてインタビューし、それをもとに一人語り形式の演劇をつくった。本書はその書籍化で、読んでいるとヴァギナたちの叫び声が聞こえてくるようだ。
著者によれば、アメリカでは女性器は恥ずべき部位。その名称は不安や恐れ、嫌悪や軽侮などの感情を引き起こすそうだが、だからこそ口にすべし、と彼女は訴える。「ヴァギナ」と声に出すことで「わたしの体」、「わたしのいちばん大切な部分なんだ」と気付き、「羞恥は消え、凌辱はなくなる」という。実際、登場する女性たちはヴァギナを、というよりヴァギナで語るかのようである。
タンポンや検査用具などの「物」に憤る人もいれば、ヴァギナが「もっとゆっくり」とか「いい度胸してるじゃない」としゃべるという人もいる。小さなふるえがひろがって地層を裂き、「音楽と色彩と無垢と永遠の大地」がみえると官能を吐露する人もいれば、女性器を「自由に形を変えて人を受け入れ、みずからを拡げて人を押し出す」、つまりは「赦し」の脈打つ臓器だと歌い上げる人も……。
印象的だったのは72歳の女性。若い頃に憧れの美男からデートに誘われ、車の中でキスされると「体じゅうがカアッと熱くなって」、ヴァギナが「洪水」になったという。車のシートまで濡らしてしまい、スカートの裾で一生懸命拭き取っていると、彼から「くせえアマ」と暴言を吐かれた。彼女はショックでいい返せず、以来、周囲が水にのまれていく「洪水」の夢に苛まれ続けたという。ところが病気で子宮や卵巣、卵管などの全摘手術を受けたら、すっきりしたらしい。「あったって、お荷物なだけ」、「他にやることは山ほどある」そうで、ヴァギナには「洪水につき閉店」と看板を掲げたいとのこと。その皮肉なユーモアにはひれ伏すしかないだろう。
私たちは皆ヴァギナから生まれた。ハートマークは「女性器から目を逸らすな」というメッセージ。それこそ本当の「異次元の少子化対策」(日本政府)ではないだろうか。
(イヴ・エンスラー著、岸本佐知子訳、白水社刊、税込1650円)
選者:ノンフィクション作家 髙橋 秀実(たかはし ひでみね)
ノンフィクション作家。1961年、横浜市生まれ。テレビ番組制作会社のADを経て現職。主な著書に『はい、泳げません』、『ご先祖様はどちら様』、『「弱くても勝てます」開成高校野球部のセオリー』など。最新刊に『おやじはニーチェ 認知症の父と過ごした436日』(新潮社)。
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