【書方箋 この本、効キマス】第4回 『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』エマニュエル・トッド 著/濱口 桂一郎
興味惹くウクライナ論
専制主義は古臭く、民主主義は新しい、とみんな思い込んでいるけれども、それは間違いだ。大家族制は古臭く、核家族は新しい、との思い込み、それも間違いだ。実は一番原始的なのが民主主義であり、核家族なのだ。というのが、この上下併せて700ページ近い大著の主張だ。いうまでもなく、新しいから正しいとか、古臭いから間違っているとかの思い込みは捨ててもらわなければならない。これはまずは人類史の壮大な書き換えの試みなのだ。
トッドといえば、英米の絶対核家族、フランスの平等主義核家族、ドイツや日本の直系家族、ロシアや中国の共同体家族という4類型で近代世界の政治経済をすべて説明してみせた『新ヨーロッパ大全』や『世界の多様性』で有名だが、その空間論を時間論に拡大したのが本書だ。その核心は柳田国男の方言周圏論と同じく、中心地域のものは新しく周辺地域のものは古いという単純なロジックだ。皇帝専制や共産党独裁を生み出したユーラシア中心地域の共同体家族とは、決して古いものではない。その周辺にポツポツ残っているイエや組織の維持を至上命題とする直系家族の方が古いが、それも人類の歴史では後から出てきたものだ。ユーラシアの西の果てのブリテン島に残存した絶対核家族と、それが生み出す素朴な民主主義こそが、人類誕生とともに古い家族と社会の在り方の原型なのである。恐らく圧倒的大部分の人々の常識と真正面からぶつかるこの歴史像を証明するために、トッドは人類史の時空間を片っ端から渉猟する。その腕前はぜひ本書をめくって堪能してほしい。
その古臭い核家族に由来する素朴で野蛮なアングロサクソン型民主主義がなぜ世界を席巻し、古代オリエント以来の膨大な文明の積み重ねの上に構築された洗練の極みの君主・哲人独裁制を窮地に追い詰めたのか、という謎解きもスリリングだ。英米が先導してきたグローバリゼーションとは、ホモ・サピエンス誕生時の野蛮さをそのまま残してきたがゆえの普遍性であり、魅力なのだという説明は、逆説的だがとても納得感がある。我われがアメリカという国に感じる「とても先進的なはずなのに、たまらなく原始的な匂い」を本書ほど見事に説明してくれた本はない。
最近の世界情勢のあれやこれやをすべて彼の家族構造論で説明しようというたいへん欲張りな本でもある。父系制直系家族(イエ社会)のドイツや日本が女性の社会進出の代償として出生率の低下に悩む理由、黒人というよそ者を排除することで成り立っていたアメリカの脆弱な平等主義が差別撤廃という正義で危機に瀕する理由、共産主義という建前が薄れることで女性を排除した父系制大家族原理がますます露骨に出てきた中国といった、その1つだけで新書の1冊ぐらい書けそうなネタがふんだんに盛り込まれている。興味深いのは、原著が出た2017年にはあまり関心を惹かなかったであろうウクライナの話だ。トッドによれば、ロシアは専制主義を生み出す共同体家族の中核だが、ウクライナはポーランドとともに東欧の核家族社会なのだ。ウクライナ戦争をめぐっては勃発以来、膨大な解説がなされたが、この説明が一番腑に落ちた。
(エマニュエル・トッド著、文藝春秋刊、上下巻各2420円)
選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎
濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。