【書方箋 この本、効キマス】第14回 『無限と連続』遠山 啓 著/髙橋 秀実
数学は自由で乱暴!?
認知症を診断するテスト(改訂長谷川式簡易知能評価スケール)の中にこんな問題がある。
「100引く7は?」
計算能力をチェックするのだが、アルツハイマー型認知症だった父は、いきなりこう問い返した。
「じかに引くのか?」
と。じかに引いちゃって良いのか、じかは大変だぞ、とクレームを申し立てたのである。医学的にはこれを「取り繕い反応」と呼ぶ。答えが分からない時に適当にその場を取り繕ってごまかすという認知症特有の反応とされるのだが、私は父の言い分にも一理あるような気がした。
100は漢数字では「百」であり、「〇百」と使われるようにひとつの単位でもある。単位から数を引くのは筋違いだし、無理に引けば単位としての機能を破壊することになる。「99引く7」や「101引く7」なら数同士の引き算だが100からじかに引くという問題は問題自体に問題があるのではないだろうか。
とはいえ父も私も数字が苦手である。父をかばう逃げ口上にも思えたのだが、あらためて数学の入門書として定評のある『無限と連続』を読んでみるとあながち間違っていない。著者によると、数学とはもともと「強引ですこぶる乱暴」な学問。何事も「じかに」やってしまうのが数学らしいのだ。
思わず留飲を下げた私。本書は数字という「もの」ではなく、「数える」という「こと」から数学を説き起こしていく。数式もあまり出てこないので、数字アレルギーの私でも抵抗なく読むことができるのである。
どうやって人は数えるかというと「一対一対応」。何かと何かをひとつずつ対応させてどちらが「多い」「少ない」、あるいは「同じ」などと判断する。対応の共通基準として数字という「もの」が生まれたらしい。
1、2、3…と自然数を数えていくと、どこまでも数えられる。つまり数え切れないわけで、自然数全体の集合の計数(合計数)は無限になる。偶数の集合はその半分になるはずだが、偶数も数えれば無限。そこで初めから自然数の1と偶数の2を、という具合に「一対一対応」させていくと、順次きちんと対応されていくので、こんな結論が導き出される。
「部分は全体に等しい」
まじで? と驚かされるが、無限は神にも通じているらしく、そもそも数学が追究するのはそれが「何か」ではなく、「いかに」ということ。分からない部分は「x」として計算を先に進めたり、数式を図形やグラフに置き換えたりする。私たちは空間を縦、横、高さなどの3次元で見ているが、それも「n次元」とすれば、視覚を超えて無限の次元をつくり出せる。「点」「直線」「距離」などの概念も、変換群によって運動の「一断面」となり、すべてを数式が映し出した幻影に変えることもできるらしい。「変通自在」で「無節操」な数学は「大胆不敵な抽象」で「無情」に既成概念を破壊する。「完全な民主主義」が実現するそうで、それこそが数学の「自由」なのだという。
恐るべき自由。
そういえば父は私の妻から「ご自由に」と言われ、過剰な散歩を自粛するようになった。哲学者のサルトルも指摘したように「自由」とは一種の刑罰であり、「100引く7は?」もその覚悟が問われていたのかもしれない。
(遠山 啓 著、岩波新書 刊、税込902円)
選者:ノンフィクション作家 髙橋 秀実
濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。