【書方箋 この本、効キマス】第23回 『ひむろ飛脚』山本 一力 著/大矢 博子
プロでも成果の裏に努力
江戸時代、加賀藩の参勤交代は今の北陸新幹線とほぼ同じルートを辿っていたのだそうだ。
金沢を起点に北陸道を越後まで行き、北国下街道に入って信濃、上野を通り、武蔵、江戸へ至る。その距離、およそ570キロ。
雪の時期を避けて行われたが、それでも3週間以上かかったという。
だがそのルートを、わずか4~5日で駆けた男たちがいた。加賀藩御用達の飛脚である。月に三度の便を出すことから江戸三度飛脚と呼ばれた彼らは、藩の公用文書や品物の運搬を一手に引き受けていた。
そんな三度飛脚の活躍を描いたシリーズ3作目が、山本一力『ひむろ飛脚』である。だが、過去2作とは少々趣が異なる。
シリーズ1作目の『かんじき飛脚』は藩に伝わる秘薬を加賀から江戸まで運ぶというもの。親不知海岸の荒波や信州の大雪、幕府の御庭番の妨害をかいくぐって走る飛脚たちのエキサイティングな物語だった。
2作目『べんけい飛脚』は参勤交代が関所を通るのに必要な許可証を飛脚が届けるというもの。いずれも走る男たちが主役だ。
しかし『ひむろ飛脚』は違う。飛脚が出発するのはなんと全体の8割を過ぎてから。ではそこまで何が書かれているのか?
準備と調整である。
舞台は嘉永6年(1853年)の早春。毎年、加賀藩では冬の間にできた氷を保存し、6月1日に将軍に献上するのを慣わしとしていた。運ぶのはもちろん三度飛脚だ。
ところがこの年は異例の暖冬で氷がまったく作れない。献上氷は絶対の義務。探索の結果、信州の追分宿でようやく氷を見つけた。しかしすでに先約済み。譲ってもらえたとしても、すでに夏である旧暦6月にどうやって融かさず運ぶ?
老中首座や水戸藩まで巻き込んで、加賀藩と飛脚宿がともに戦略を練る。この様子が実に良い。プロジェクト完遂のため、武家は武家のできることを、職人は職人のできることを、それぞれ全力でやるのだ。蔵職人や大工、はては講釈師や易者、うどん屋台の親父の知恵まで借りて、万全の準備を進めるのである。
ここにあるのは多種多様なジャンルのプロの姿だ。交渉のプロ、調整のプロ、商売のプロ、製造のプロ、運ぶプロ。そして彼らが身分の上下に関係なく、他のジャンルのプロの意見をきちんと尊重しているのがとても気持ち良い。こうでなくては多くの専門家が集まるプロジェクトは成功しないだろう。
常に何らかの妨害が入るこのシリーズにおいて、今回の最大の敵は天候だ。自然が相手なのだからどうしようもない。その分、人的ないざこざは少なく、皆が協力してスムーズに進むので読んでいてストレスがない……と思ったら!
物語終盤、ついに走り出した飛脚たちをあるトラブルが襲うのだ。知識はないのに権力と見栄だけは持っている与力が、余計なことをするのである。ああ、いるよなあこういう人!
氷を運ぶのは飛脚だ。しかしそこに至るまで、氷の確保から箱の材料、保冷の方法、日程や場所の調整、先約との交渉など、山のような準備と調整があった。目に見える成果の陰にある努力を忘れてはならないと、強く思わせてくれた一冊だ。
(山本一力 著、新潮社 刊、税込2200円)
選者:書評家 大矢 博子
濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。