【書方箋 この本、効キマス】第28回 『経済学の宇宙』 岩井 克人 著/濱口 桂一郎
「法人論」探求の端緒は?
著者は東京大学経済学部名誉教授であり、日経新聞からこのタイトルで出れば、偉い学者の『私の履歴書』みたいなものと思うのが普通だ。実際、生い立ちからMIT留学までは、貧しいながらも知的な家庭から東大に進学し、米国に留学する立志伝的な話。ところがそこから話がとてつもない方向に逸れていく。新古典派経済学の真っ只中にいながら、市場経済がその根底に不安定さを秘めていることを暴露する不均衡累積過程の理論を構築し、非主流派の道を歩み始める。ちょうどそこへ東大経済学部から声が掛かり、1981年帰国。このとき、評者は法学部生として岩井助教授の「近代経済学」の初講義を聴いたはずだが、中身はまったく記憶にない。
ここから経済学者の枠を超える岩井の大活躍が始まる。柄谷行人らとの交流のなかから、マルクスの価値形態論の限界を突破し、貨幣商品説と貨幣法制説の双方を超克する貨幣の自己循環論法理論を構築する。その後日本経済論を経て、法人論に取り組むことになる。彼が法人という存在の不思議さに気が付いたのは、プリンストン大学の図書館で戦前の『法律学辞典』の「法人」という項に、末弘厳太郎(「末廣巌太郎」というのは誤り)が「法人とは自然人にあらずして法律上“人”たる取扱いを受くるものを言ふ」と書いているのを見て、驚きのあまり本を落としそうになったときだ。
私も含めて法学部出身者にとっては、これは民法総則の初めの方で勉強する常識中の常識で、何ら驚くことではない。ところが、学生時代に「法律などという権力の道具にすぎないものを勉強するなんてとんでもない」と思って法律に関する講義は一度も取っていなかった岩井は、ヒトでありながらモノでもある不可思議な存在に驚いた。ヒトは主体としてモノを所有し支配する。モノは客体としてヒトに所有され支配される。奴隷社会や家父長制社会とは異なり、ヒトをモノとして扱ってはいけないのが近代社会のはずだ。だが法人は、モノであるのにヒトとして扱われ、ヒトとして扱われているのにモノでしかない。こんな不思議な存在になぜ今まで気が付かなかったのだろうと。驚いた岩井はそこから法人論や会社法の猛勉強を始め、会社統治の議論に乱入し、流行していた株主主権論を論破する。素直に民法の授業を聞いていた法学部出身者にはできない荒技だ。
マイケル・ジェンセン(参照記事=【本棚を探索】第5回『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』ニコラス・レマン 著/濱口 桂一郎)のエージェンシー理論によって歪められた会社統治のあるべき姿を探し求めて、岩井は「信任関係」という概念に辿り着く。日本では知られていないこの英米法概念こそ、資本主義社会の中核にある会社という存在を根底で成り立たせている経営者の会社に対する忠実義務であり、「倫理=法」なのだ。その根底にあるのは、トマス・シェリングの「人は自分と契約できない」という原理である。経済学は「私的悪こそ公共善だ」と嘯いて倫理を葬ったはずなのに、会社の中核には倫理が法として存在しているというこの逆説。そして、経営者の会社への信任関係を否定して株主利益に奉仕するエージェンシーに貶めたマイケル・ジェンセンのイデオロギーは、株主に奉仕すると称して「自分と契約」することによってお手盛りで巨額の報酬を得る経営者たちとして実現した。
(岩井 克人 著〈聞き手・前田 裕之〉、日経ビジネス人文庫 刊、1430円)
選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎
濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。