【書方箋 この本、効キマス】第34回 『横浜もののはじめ物語』 斎藤 多喜夫 著/髙橋 秀実
偶然が重なった都市!?
私は生まれも育ちも横浜である。両親もそうなので生粋の「ハマっ子」ということになるのだが、日頃、それを意識することはほとんどない。そもそも横浜の地理にも疎く、妻を生家(中区)の周辺に案内しようとして道に迷ったこともあるくらいなのだが、このたび還暦を迎え、にわかに自分の故郷というか原点を学び直したく、本書を手に取ったのである。
何事にも出遅れる。
横浜開港の歴史を紐解く本書によると、それが横浜の特徴らしい。流行の先端に思われがちだが、実は先端に位置しながら出遅れるそうで、何やら私の性格にも通じているようなのだ。
ペリーが浦賀に来航したのが1853年。彼らは江戸での交渉を望んだが、幕府は神奈川宿での交渉を提案した。ところがどこで何を間違えたか、半農半漁の「小さな無名の村」である「辺鄙な横浜村」が交渉の場となり、辺鄙ゆえに取り締まりに好都合とのことで、そのまま開港になったそうだ。当時の横浜村一帯はほとんどが沼地で埋め立ても間に合わず、工事のなか、船は次々と来航し、「既成事実の事後承認」で外国人たちが続々と居留するようになったという。今も横浜はあちらこちらで工事中だが、170年前からずっと工事中なのだ。
ともあれイギリス人技師によって、車道と歩道を区別する「日本最初の近代的な道路」(現・日本大通り)が敷かれ、西洋の「もの」が次々と横浜にもたらされた。私の生家の近所にも、ビール発祥の「麒麟麦酒開源記念碑」があるし、関内に入れば「我国西洋歯科医学発祥の地」や「西洋理髪発祥之地」もある。横浜には「発祥の地」が無闇に多いのだが、著者によると、これらは船内の機能がそのまま陸上に展開した結果らしい。
船内ラウンジは陸上でホテルとなり、レストランやカフェ、ビリヤード場もつくられる。船員たちが飲むビールやパン、西洋野菜、豚肉などは横浜で育てて供給する。船旅に同行した医師や理髪師も船を下りて横浜で開業したのである。
ボート競技やテニス、クリケット、ラグビー、サッカーなどさまざまなスポーツも横浜が発祥とされるが、それは居留地防衛のために駐留していたイギリスやフランスの軍隊が「調練の名目でスポーツに明け暮れていた」からだという。生麦事件のような襲撃事件に備えていたはずが、実際は事件が起きず、スポーツ天国に転じたというわけである。
本書を読んでいると、横浜ではほとんどのことが「たまたま」起きたように思えてくる。たまたま横浜村が港になり、たまたまそこに住み着いた人々がいた。横浜には巨大な遊郭もあったそうだが、たまたま大火事が発生し、その焼け跡が横浜公園(大半が横浜スタジアム)になったり、関東大震災で発生した瓦礫を捨てていたところが山下公園になったり……。
偶然の連続。もしかすると横浜は偶然性の都市なのかもしれない。そういえば私も父もよくこう口走る。
「そうだっけ?」
「そうだったっけ?」
偶然性に驚く。驚いて物事を偶然化するのだ。とぼけて責任逃れをするようだが、追い詰められると頭のなかでボーーッと船の汽笛が鳴る。それが私たちハマっ子の特徴ともいえる。
(斎藤多喜夫著、有隣堂刊、税込1100円)
選者:ノンフィクション作家 髙橋 秀実
濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。