【書方箋 この本、効キマス】第35回 『陰の季節』 横山 秀夫 著/大矢 博子

2023.09.21 【書評】
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警察小説変えた人事モノ

 大沢在昌の『新宿鮫』や今野敏の『隠蔽捜査』から長岡弘樹『教場』に至るまで、今も昔も警察小説は人気のジャンルだ。ドラマ化されたものも多い。

 そんななか、出版当時は警察小説の新規軸といわれ、その後のジャンルの一大潮流を作ったのが1998年に出た横山秀夫の短編集『陰の季節』である。

 何が新規軸だったのか。それまで警察小説といえば事件を追い犯人を逮捕する捜査小説のことだったのに対し、『陰の季節』は警察の警務部――一般企業でいえば総務部や人事部に当たる部署を描いたのだ。

 たとえば表題作では、D県警警務部で人事を担当している二渡(ふたわたり)警視が主人公。異動の季節を控え、県内すべての警察官が絡んだ複雑な人事パズルを作り終えた後で、ある所轄署長の不祥事が発覚し、彼を降格せざるを得なくなった。しかしこれが簡単ではない。

 〈一線でミソをつけた幹部は、本部の目立たないポストに引き揚げ、四、五年そこで塩漬けして頭を冷やさせる習わしだ。とはいえ、あからさまな降格人事は打てない。下手な課員より組織の内情に詳しい古株のサツ回り記者につつかれ、疑惑そのものを暴かれる危険がある。部内ではそれとなく懲罰人事とわかり、外に向けては『○○部門の強化』などと言い抜けられる、そんな玉虫色で懐の深いポストを充ててやるのが、人事の技だ〉

 うわあ、面倒くさい!

 そんなポストが見つかっても次は現在そこにいる人を異動させねばならず、玉突き人事が始まる。こんな話が最初の数ページで展開され、もうそれだけで心を掴まれた。

 だが話はその先だ。ある警察OBが、今年で任期が切れる天下り先のポストを「辞めない」と言い出したのだ。ここも次が詰まっている。何としてでも辞めさせろと命じられた二渡はそのOBに会いに行くが、辞めない理由すら教えてもらえない――。

 本編はその理由を探るミステリーで、意外な真相に驚くこと請け合い。だがやはり物語の最大の魅力は、警察の人事部の仕事とその苦労の描写だ。それが謎解きに深くかかわってくるのだからたまらない。

 他の収録作もすべて同じD県警が舞台。警察内部の不祥事を調べる監察官、無断欠勤した女性警察官を探す警務課婦警担当係長、議会での答弁書を作る秘書課の課長補佐らがそれぞれ主人公となり、そのすべてに二渡が脇役で顔を出す。どれもミステリーとしてとてもレベルが高いだけではなく、異動が生む人間ドラマであったり、組織に脈々と息づく古い体質とその問題であったり、保身や派閥といった業種を問わない人の感情であったりと、人事小説として実に読み応えがあるのだ。

 警察といえどもひとつの組織である以上、そこにいるのは刑事だけではない。事務方がいるからこそ成り立っているし、事務方には事務方の苦労がある。事件の捜査はせずとも、犯人を逮捕せずとも、彼らもまた日々戦っている警察官なのだ。一般企業で事務に担う読者も大いに感情移入して読めるに違いない。

 このD県警シリーズは後に『64(ロクヨン)』という広報課員を主人公にした傑作長編に結実する。併せてお読みいただきたい。

(横山 秀夫 著、文春文庫 刊、税込660円)

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書評家 大矢 博子 氏

選者:書評家 大矢 博子

 濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。

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令和5年9月25日第3418号7面 掲載
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