【書方箋 この本、効キマス】第36回 『ゴースト・ワーク』 メアリー・L・グレイら著/濱口 桂一郎
AIを支える人間労働
2018年に当時リクルートワークス研究所におられた中村天江さん(現連合総研主幹研究員)のインタビューを受け、「日本ではジョブ型で騒いでいるが、世界ではむしろ安定したジョブが壊れてその都度のタスクベースの労働社会になるのではないかという危惧が論じられている」と語ったことがある。
今年になっても状況は変わっていないが、タスク型社会の明暗をそれぞれ強調する翻訳書が出た。(日本支社はジョブ型の売り込みに余念のない)マーサー本社のジェスターサン&ブードロー『仕事の未来×組織の未来』(原題:「ジョブなきワーク」、ダイヤモンド社)が、伝統的なジョブ型雇用社会の駄目さ加減を徹底批判するのに対し、本書はタスク型労働社会の絶望的なまでの悲惨さを、アメリカとインドの底辺労働者の現実を克明に描き出すことによって訴える。
「ゴースト・ワーク」とは何か?世間ではAIによって多くの仕事が失われると騒ぐ声が喧しいが、失われるのはまとまった安定的なジョブであって、AIが繰り出す見事な技の背後には膨大な量の隠された人間労働があるのだ。印象的な数字がある。AIをトレーニングするためには膨大な量の画像にラベルを貼らなければならない。最初は学生たちを雇ってやらせたがそれでは完了までに19年かかる。機械学習でやらせたら、間違いが多すぎて使い物にならない。そこで、クラウドワーク大手のアマゾン・メカニカル・タークを活用し、167カ国4.9万人のワーカーを使って320万の画像に正確にラベル付けできたという。メカニカル・ターク(機械仕掛けのトルコ人)とは、人が中に入っていかにも機械仕掛けのように振る舞うチェス自動(実は手動)機械のことだ。なんと皮肉なことか。
そう、人間がやってないような顔をしているAIは膨大な人間労働によって支えられている。ただしそれは、一つひとつのタスクを瞬時に世界中で奪い合う苛酷な社会である。彼らは画面上でアルゴリズムに従って作業するだけで、互いに何のつながりもない。彼らの労働の融通性とは極度の神経集中であり、自主性とは孤独とガイダンスの欠如であり、技術的不具合や善意の努力のせいで不正行為と判断されアカウントを停止され、報酬をもらえないこともしばしばだ。彼らAIを支えるゴースト・ワーカーたちを著者は「機械の中の幽霊」(ゴースト・イン・ザ・マシン)と呼ぶ。アーサー・ケストラーの有名な本のタイトルであるこの言葉が、これほどに似合う人々もいないだろう。
著者は、2055年までに今日の全世界の雇用の6割が何らかの形のゴーストワークに変わる可能性が高いと警告する。自動化対人間労働というのは偽りの二項対立だ。ジョブという確立した社会安定装置が崩壊し、その時々の見えざる「機械の中の幽霊」労働が世界を覆うだろうと。最後に著者が並べ立てる解決策には、ポータブル評価システム、ゴースト・ワークのサプライチェーンの責任の所在を明らかにするグッドワークコード、新たな商事改善協会としての労働組合、国民皆保険制度、そして成人労働者全員に被雇用者として基本給を支払う一種のベーシックインカムなどがある。しかし、これで未来は安心だというのはなかなかない。人間の未来は機械の中の幽霊なのだろうか。
(メアリー・L・グレイら著、晶文社刊、税込2420円)
選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎
濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。