【書方箋 この本、効キマス】第38回 『馴染み知らずの物語』 滝沢 カレン 著/髙橋 秀実
「読む」の本意がここに!?
ノンフィクションを生業とする私は、小説など架空の物語にあまり関心がない。人物が登場すると、つい「誰それ?」「仮名?」などと訝ってしまい、なかなかその世界に入っていけないのだが、本書は意外にもすんなりと読めた。時に笑い、しばしば刮目したのである。
著者の滝沢カレンさんは幼少期から「お話を読むのが好き」だったという。ところが「とびきり集中力のない私はお話が終わる前に違うお話を読んでしまう」とのこと。物語を読みながら「頭の中で物語の続きを好きに妄想」するそうで、本書は物語に誘発された15の短編(妄想)なのだ。
たとえばカフカの『変身』。原著では、ある朝、主人公がベッドから起き上がろうとすると巨大な毒虫に変身していた、という話だが、彼女の主人公はベッドに変身する。ベッドから起きようとしたら、ベッドそのものになっていたというのだ。
カフカより不条理。一瞬そう思ったのだが、主人公はデパートの寝具売り場でベッドを売る販売員。ベッドのまま出勤すると、「マスコットキャラクター」だと思われ、商売熱心だと評価されて売上げもトップに。ベッドに変身してベッドを売り、勇気と笑顔を手に入れた「ベッド君」。物語の冒頭の「ベッド」から始まった妄想が止まらなくなったのだろう。
苛酷な労働環境を描いた小林多喜二の『蟹工船』も奇妙な蟹ワールドに展開する。蟹工船で働く「僕」はある日、ひとりで船に乗る。船は嵐に巻き込まれ難破しそうになるが、蟹から声をかけられ、そのまま「蟹御殿」へ。蟹たちと一緒に歌って踊って楽しく過ごし、深い眠りにつく。実は「僕」は波にのまれて気を失っており、蟹の入った袋が浮き輪代わりになって命拾いしていたのだ。蟹好きで蟹工船で働く「僕」が、蟹を夢見て蟹に救われる蟹三昧の境地。苛酷な労働環境も、彼女の手にかかると好きなものに囲まれるファンタジックな環境に一変するのだ。
恋愛を歌い上げた与謝野晶子の『みだれ髪』は、「髪の毛がこんがらがる」「ボサボサ頭」の女の話になる。引きこもりがちだった彼女は、同じように「鳥小屋」のような「ぐしゃぐしゃ頭」の男と出会い、恋に落ちる。周囲からは「頭上爆発カップル」と揶揄されるが、ふたりは髪を気にする暇もなく、やがてその髪を獲物と思ったイヌワシについばまれ、さらわれてしまう。同じ運命を辿るふたり。しあわせなのかふしあわせなのか。まさにこんがらがるラブストーリーの誕生だ。
物語を読む、とはこういうことなのかもしれない。
私は考えさせられた。その世界に入っていくのではなく、活字を眼で追いながら自ら妄想する。そもそも「よむ」の原義は「数える」こと。一字一字数えることでリズムが生まれ、妄想がふくらむ。物語の「かたる」も「息子をかたるオレオレ詐欺」と使われるように「なりすます」を意味する。物語を読むとは、著者になりすまして語ることなのだ。
あとがきで彼女は「この本の存在は数時間後忘れていただいて構いません」と言う。「だって一度でもどなたかの脳を通させていただけたことが奇跡なのですから」とのこと。私の脳を通った滝沢カレン。すまし顔のウイルスに侵入されたようでちょっと不気味な読後感であった。
(滝沢 カレン 著、ハヤカワ新書 刊、税込1056円)
選者:ノンフィクション作家 髙橋 秀実
濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。