【書方箋 この本、効キマス】第41回 『日本の経営〈新訳版〉』 ジェームス・C・アベグレン 著/西久保 浩二

2023.11.09 【書評】
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福利厚生が強さの原点に

 本書は、周知のとおり日本の近代経営学、労働研究に多大なる影響をもたらした歴史的著作である。著者であるアベグレンは1955年から2度来日し、日本電気、富士製鐵など数社の日本企業の大工場を調査することで本書をまとめた。驚異の成長を始めた“不思議の国”日本を牽引する企業経営の謎が世界に向けて発信されたわけである。

 そして、後にわが国の訳者らによって「終身雇用」、「年功序列」、「企業内組合」など欧米での経営との異質な要素から構成される「日本的経営」という新たな経営論、経営モデルが成立されることになる。今なお長く続く、賞賛と批判の議論を生じせしめた端緒の著となった。

 選者が学生時代に師事した、占部都美氏(=58年発売、原書の訳者)は、原書の後書きで次のような慧眼なる予測を述べている。「この書(略)は、わが国の企業経営のあり方について、深い、かつ長期的な関心を寄せている人たちの間に大きな問題の渦をまきおこすであろう」と。

 選者が今も本書をしばしば参照する理由は2点ある。1つは近代福利厚生の原点としての多くの詳細な記述があるためである。同時に60年を経た遠い過去に海外の研究者が触れた、恐らくかなりの異物感があったであろう、わが国企業の経営に対する驚きと、それを善悪、好悪の感情を排して、その強さの真因を客観的に解明しようと試みた姿勢に感銘を受けた記憶からでもある。

 福利厚生の実態については、ある紡績工場の事例として、社員食堂、寄宿舎、洗濯場、浴場、調髪所、売店、診療所、運動施設、保養所などの厚生施設に加えて、家族手当、結婚祝い金などの慶弔給付に関して制度や料金、負担方式、さらには人件費支出に占める福利厚生費の大きさなどを詳しく記述している。そして、彼は、その実態を驚きの言葉をもって表現している。「彼(従業員)の生活の細部にわたってほとんどすべてが、会社の施設、指導と補助でしみとおっているのである」とし、さらに「直接支払われる賃金とは別に、恩典やサービスが与えられるやり方について、一つ一つカタログを並べ立てたら、退屈してしまうだろう」と実に興味深い驚嘆の表現を行っている。

 東洋の奇跡と呼ばれた高度成長を実現し、世界市場を席巻した日本企業の多くが自社従業員に対して年功賃金を補完する報酬制度の一環として、当時の欧米では顧みなかった生活領域の細部に対して、多種多様な福利厚生を提供している。この事実と、その必然性とは何なのか、という疑問を著者は大いに感じたのであろう。それは、会社と従業員との終身的な、生活共同体としての密なる関係性のなかで形成される一体感、信頼感であり、それが日本企業の強さの土壌として機能していたことを感じたのではなかろうか。

 日本経済、そして日本企業の世界的な後退と劣位性が強調される今日、改めてわが国企業の当時の強さの原点が何であったのか。そしてその強さがいかなる経緯、環境変化によって適応不全を惹起し、後退したのかを考えさせる書である。

(ジェームス・C・アベグレン 著、日本経済新聞社 刊、税込2178円)

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山梨大学 生命環境学部 教授 西久保 浩二 氏

選者:山梨大学 生命環境学部 教授 西久保 浩二(にしくぼ こうじ)
1958年大阪府生まれ、神戸大学卒。2006年から現職。研究領域は福利厚生、ワーク・ライフ・バランス。

 濱口桂一郎さん、髙橋秀実さん、大矢博子さん、月替りのスペシャルゲスト――が毎週、皆様に向けてオススメの書籍を紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にいかが。

令和5年11月13日第3424号7面 掲載
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