Iターン開業を満喫 転勤時の思い出頼りに/ほしの社会保険労務士事務所 星野 麻記

2023.12.17 【社労士プラザ】
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ほしの社会保険労務士事務所 星野 麻記 氏

 岩手県盛岡市で開業して10年になった。もっと言えば、「移転開業して」10年になった。

 千葉県出身、大学も就職も東京で、自分はずっと関東という意識を疑わなかったものの、結婚と同時に寿退職し、平成15年に夫の会社の転勤で盛岡に転居。ほどなく第1子を出産した。適度に都会で、自然は多く、子育てもしやすく周りの環境にはとても恵まれたが、自分は専業主婦で、どこにも所属していないという不安感に襲われた。毎日子どもと向き合う生活も苦しく、パートでもなんでもいいから外に出たかった。

 「とりあえずのパートはキャリア的に長続きしないと思うから、何か資格の勉強したら?」と夫に言われ、「社労士がいいんじゃない?」とその資格をよく知りもしないで、専門学校の申込みをした。子どもから離れて自分の時間が持てたことにすごくうれしさを感じていたのを思い出す。

 平成18年にまたもや夫の転勤で大阪へ。その後、大阪で社労士登録した。

 第2子が生まれたこともあり、社労士法人でパートとして働き、行政協力などで少しずつ仕事の幅も増やした。素敵な社労士仲間にも恵まれ、社労士はどういう仕事・役割なのか、ということを体得した。

 夫が中小企業診断士で独立したいという願望を元々持っていたため、人生も折り返し地点を迎えようとしたタイミングで、どこで独立するか、どういう人生を歩みたいかという話になった。夫も関東出身で、大阪に骨をうずめるという感覚は当時湧かなかった。

 「関東はどうだろうか?だけど診断士も社労士も自分たち以外にたくさんいるし、自分たちである必要はないかもしれないね」

 「盛岡は?」

 盛岡に住んでいたのはたった数年だったが、当時の生活は楽しく、周りの人にも恵まれた。

 「いいんじゃない?」

 勘も働いた。平成25年4月に盛岡に移転。でも仕事は一から、地縁血縁もなし。社労士会に行って「何でもやります」と伝え、色々と快く紹介していただいた。

 大阪から来た、というインパクトは大きく、「大阪出身の星野さん」で覚えてもらえた。

 地方は閉鎖的かと思いきや、こちらから心を開けば、相手もすんなり受け入れてくれることを実感した。現在は、会社関係の労務やらセミナーやら個人の年金相談まで、県内を車で片道100キロとか普通に走る。訪問すると畑で獲れたものを頂戴したりして、報酬は現物支給!

 転勤先が九州だったら、九州で開業していたかもしれない。

ほしの社会保険労務士事務所 星野 麻記【岩手】

【公式webサイトはこちら】
http://sr-hoshino.jp/

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令和5年12月18日第3429号10面 掲載
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