政策も変える誇れる仕事/竹山社会保険労務士事務所 代表 竹山 文
幼いころ、私は母から、学校の先生か公務員になるようにと、ことあるごとに言われて育った。意に介さないでいると、今度は商工会議所に就職することを勧められた。お分かりだろうか。安定した職に就き、平穏な生活を願う親心だ。商工会議所は会社の社長さんが出入りをするから、良い縁談に結び付くという都合の良い希望的観測だ。
私はそんな母の思いを話半分に聞いて、出版社に就職し、制作の仕事をしていた。勤続20年を迎えるころ、一念発起して社会保険労務士資格に挑戦。1年迷って覚悟を決め、親の反対を押し切って社労士として独立開業したのだが、会うたびに「仕事はあるのか」、「ちゃんと食べているのか」と心配された。
開業して間もなく、社会貢献活動として中学校で出前授業をやらせていただく機会に恵まれた。まだまだ学校教育を実施している社労士は少なく、地元紙が「社労士 教壇に立つ」の見出しで掲載してくれた。このとき、私はたまたま講師をやらせていただいただけであって、それまで社労士会の所属支部の多くの諸先輩方が議員さんと連携を取りながら、教育委員会にかけあって、ようやく実現に漕ぎ着けた出前授業だったことは言うまでもない。
今では、社労士による学校教育は、全国社会保険労務士会連合会でも東京都社会保険労務士会でも組織の取組みとして、事業の大きな柱になっている。未来を担う子ども達のためにできることが嬉しくて、私のライフワークとなっている。
平成19年、年金記録問題が世間を騒がせたとき、社労士は年金を専門とする唯一の国家資格者として注目された。開業したばかりで時間的に余裕があった私は、総務省で組織された第三者委員会に入ることになった。立上げ当初の第1期生である。現場も混乱するなか、2年弱、調査員として貴重な経験をした。それから数年が経ち、年金記録を審議する機関は、総務省から厚生労働省へと所管が変わったが、現在はその年金記録訂正審議会の委員を拝命している。
社労士としてではあるが、学校の教壇に立ち、非常勤国家公務員にもなり、日常業務では顧問先の社長さんとやり取りをする。母の希望の一端は叶えることができたのではないかと思っている。
士業の使命は、個人あるいは企業の権利を守り、代わって主張することだと思っている。そのなかで、労働諸法令、社会保障制度および人事労務は、社労士のフィールドだ。我われの実務や知見に基づいた意見が国の政策を変えることだってある。そんな仕事に私は誇りを持っている。
竹山社会保険労務士事務所 代表 竹山 文【東京】
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