【書方箋 この本、効キマス】第61回 『雪血風花』 滝沢 志郎 著/大矢 博子
「孝」と「忠」の狭間で…
忠臣蔵を知らない世代が増えているという。さもありなん、かつては風物詩のように放送されていたドラマもなくなったし、そもそも時代劇自体が減っているのだから。
ただ、忠臣蔵ドラマが減ったのには別の理由もあると私は考えている。ありていに言えば、いい加減書き尽くされたのではないか。大石内蔵助を主人公とした正統派はもちろん、吉良上野介の側に立ったものもあれば、堀部安兵衛や萱野三平といった有名な浪士を主人公にしたものもある。討ち入り後、切腹せずに赤穂に戻った寺坂吉右衛門を描いた小説もあれば、浅野内匠頭の正室・瑤泉院の物語もある。今更新機軸は難しいだろう。
と思っていたのだが。この手があったかと膝を打ったのは、2019年に公開された映画『決算!忠臣蔵』を観たときだった。原作は山本博文のノンフィクション『「忠臣蔵」の決算書』。監督の中村義洋によるノベライズも刊行されている。要は、討ち入りを財政面から描いたもので、これが新鮮だったのだ。なるほど、新機軸は難しいどころかまだまだ切り取りようがあるぞ。
そこに滝沢志郎の『雪血風花』である。主人公は四十七士のひとり、武林唯七。吉良を絶命させた二番太刀の功労者として伝えられている。
この唯七にはもうひとつ有名な話がある。彼の祖父は明の浙江省杭州の士太夫(中国の知識人)で、孟子の末裔とも言われる孟二寛。明が滅んだとき日本に亡命し、浅野家に仕えた。
時々、赤穂四十七士に外国人がいたと紹介されることがあるが、それがこの武林唯七だ。実質は帰化3世のため外国人という表現は正確ではないのだが。
著者はこの武林唯七を「赤穂一の粗忽者」で愛嬌があり、周囲を和ませる癒しキャラとして描いた。皆に好かれ、小姓として浅野内匠頭のそば近くにいた存在だ。だが刃傷事件の日にすべてが変わってしまう。
堀部安兵衛ら血の気の多い連中は仇討ちだと盛り上がる。それを押さえようとする大石内蔵助に命じられ、唯七は江戸の急先鋒たちを見張ることになった。調整役として右往左往する姿はコミカルで、時に笑いを誘う。だが唯七自身も自分の選択を決めかねていた。仇討ちすべきなのか、殿は本当にそれを望んでいたのか。これまでは決められた仕事をしていただけで、自分で何かを決めたことなどないのだ。だが迷っているうちに、彼が心を決めざるを得ないある事件が起きる。
孟子の教えでは「孝」が何より大事とされる。翻って当時の日本の武家社会は「忠」を何より重んじた。その狭間で揺れる唯七。儒教に慣れ親しんでいるが故の葛藤だ。気の良い愛されキャラの唯七が討ち入り参加を決めるまでに何があったのか。そのくだりをじっくり味わってほしい。
家族を切り捨てわが身を捨てて、お家のため殿のために忠義を尽くす。そんな忠臣蔵は、描きようによって美談にも悲劇にもなる。本書はその両面を見事にすくいあげている。
終盤、仇討ちの盟約から抜ける浪士のセリフが印象に残った。
「殿は私に大納戸役しか与えてはくださらなかった。果たして、命を捨てるに値するほどの恩かな」
(滝沢 志郎 著、双葉社 刊、税込2200円)
選者:書評家 大矢 博子
レギュラー選者3人と、月替りのスペシャルゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にどうぞ。