私の天職「走る人事部長」/FPC社会保険労務士法人 代表社員 松永 和彦
「Let’s begin!」と主人公の教師が板書するところから、そのドラマは始まった。「とにかく何かを始めよう」。当時中学生であった私は、再放送されていたこのドラマに心を奪われてしまう。落ちこぼれ生徒が集まる高校で、新任教師がサッカーというスポーツをとおして、子供たちをひとつにまとめていくという青春ドラマである。このドラマは翌々年、ラグビー部を舞台に、続編が制作された。
将来、高校の教師になって、ラグビー部の顧問をしようと心に決めた私は、高校入学と同時にラグビー部に入部。毎日ドロドロになりながらラグビーボールを追いかける日々を送る。
大学は教育学部に進学し、夢の実現に向けて同好会でラグビーを続けた。
しかし、大学4年時に行った教育実習で人生の方向転換をすることとなる。大学の附属中学での6週間の教育実習では、子供たちとの触れ合いはすごく充実していたが、教師という社会に何か違和感を持ってしまい、一般企業への就職を選択した。
元来人と話すのが大好きな私は、百貨店業界に志望を定め、鉄道系の大手百貨店に入社することとなる。入社時に人にかかわる仕事をしたいという理由で、人事・教育部門を希望し、幸い入社1年半後に配属される。百貨店に在職した31年間のうち約20年を人事・教育部門で過ごし、労働組合の窓口である労務部や社員教育に携わる教育部、晩年は子会社である人材派遣会社の役員も経験させていただいた。
人材派遣会社に在任しているとき、従業員がユニオン(合同労組)に加入。私は会社の代表として団体交渉に臨むこととなった。その際、会社の顧問社労士の先生に同席いただき、適切なアドバイスをいただいたことが、私も社労士資格を取ろうとしたきっかけである。記憶力の落ちた50歳を過ぎてでの資格チャレンジであったが、幸い一発で合格することができた。仕事が終わったあと、週2日資格予備校に通学したが、一から人事・労務の勉強をする楽しさいっぱいの1年であったように思う。
資格取得の1年後、周りが驚くなかで会社を退職し、現在に至っているが、プレーイングマネージャーとして、約20社の顧問先も担当している。メールでのやりとりが嫌いな私は、何かあればすぐに顧問先に駆けつける毎日である。「走る人事部長」として、人に寄り添う社労士の仕事は、私の天職かもしれない。ちなみに私のEメールアドレスは「letsbegin」から始まり、携帯電話の着メロは「太陽がくれた季節」である。
FPC社会保険労務士法人 代表社員 松永 和彦【京都】
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