【書方箋 この本、効キマス】第79回 『家から5分の旅館に泊まる』 スズキ ナオ 著/せきしろ

2024.08.29 【書評】
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羨望を覚える魅力的な旅

 私がまだ幼かった頃、夏休みや冬休みになると祖父母が住む町まで親と車で行くのが常だった。途中旅館が1軒あり、私はそこを通るたびに「自分はいつかあの旅館に泊まる時が来るのだろうか?」と考えていた。考えても考えても泊まる自分がイメージできなかった。なぜなら泊まる必要がないからだ。しかし年齢を重ねていき、ふと「泊まろうかな」と考えた。そういうのもありだという考え方ができるようになっていて、もう泊まることを遮る理由はなかった。幼い頃は新しかった建物はかなりの経年を感じさせてくれる風貌に変化していたが、私はそこに1泊した。

 スズキナオ氏の新刊である『家から5分の旅館に泊まる』はまずそんなことを私に思い出させてくれた。

 本書は太田出版のWEBマガジン『OHTABOOKSTAND』にて連載していた旅のエッセイをまとめたものである。私はレコードやCDで「ジャケ買い」をしたことがあるが、この本は「タイトル買い」した。決して強い言葉が使われているわけでも、煽情的であるわけでもないのに心を動かされたのは、そこに詩情があるからに他ならない。

 スズキ氏は旅をする人である。旅に関する著作も多い。一口に旅と言ってもさまざまな形が存在するだろうが、スズキ氏は彼の旅をする。唯一無二。この本にはそんな彼の旅が詰まっている。

 スズキ氏の旅はとにかく魅力的である。目的地にて、スズキ氏は歩き、誰かと対話し、何かを食べ、お酒を飲む。文字にするとのんびりしているように感じるのだが、実は濃い時間が流れている。スズキ氏の五感が絶えず使われているのだ。それなのに読み終わるとやはりのんびりしていると思う。不思議な読後感なのだ。

 この不思議さがスズキ氏の魅力であるのだと私は考え、同時に羨ましくなる。圧倒的に自分には不足している魅力であるからだ。私はできるだけ人と話したくない、食事は「駅ビルのチェーン店、いや、もうホテルでコンビニ弁当を食べれば良いか」と考える。そんな自分とは大違いなのだ。

 唯一の共通点は酒を飲むところではあるが、スズキ氏の酒は旅に溶け込んでいる。唐突感も違和感も恥ずかしさもない。

 私が本書の中から好きな箇所を挙げるとしたら、まずは「まあ、敦賀に来て札幌ラーメンを食べるというのも面白い」と気を取り直すところだ。旅の緩急が良い。この緩急が新しいエピソードを生み出す。

 続いてスズキ氏が「テキパキと行動できる俺」を両親に見せようと振舞うところである。そこには人間味があり、さらなる詩情を生み出している。

 そしてなんと言っても有馬温泉で賽銭箱にお金を入れると音楽とお経が流れるところである。このシステムは実に「観光地」である。ボタンを押すとその土地に所縁のある歌手の歌が流れる「ボタンもの」(そういう表現が存在するのかどうかは知らない)が、私は異常に好きなのだ。

 ボタンを押すためにどこかに行こうか。ふと、そんなことを考えてしまったのはこの本の影響に他ならない。

(スズキ ナオ 著、太田出版 刊、税込2090円)

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作家・俳人 せきしろ 氏

選者:作家・俳人 せきしろ
1970年、北海道生まれ。作家、自由律俳句俳人。最新刊に『そんな言葉があることを忘れていた』。

 レギュラー選者2人とゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にどうぞ。

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令和6年9月2日第3463号7面 掲載
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