【書方箋 この本、効キマス】第81回 『賃金とは何か 職務給の蹉跌と所属給の呪縛』 濱口 桂一郎 著/金子 良事

2024.09.12 【書評】
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「政労使」の意義を後世に

 『賃金とは何か』が岸田文雄総理の退陣に間に合った。流行りのジョブ型雇用の言葉の生みの親で知られる著者の最新刊である。「ジョブ型雇用」は著者の意図せざるところで展開してしまった感もあるが、「メンバーシップ型雇用」とともに人口に膾炙しやすかったこともたしかである。本書の序章でもこのふたつの概念を使った見取り図を描いている。

 こういう理論モデルで捉えることには功罪があって、概観しやすい反面、細部の観察がおろそかになるリスクを抱えている。だが本書は現代の読者に読みやすいように、たとえば戦前の資料を口語訳するような作業をしているが、基本的には資料そのものの紹介に重きを置き、理論的に丸めるようなことはしていない。

 本書で読むべきところは、第3部の賃金の支え方、すなわち最低賃金制度である。第1~2部は今までどういう議論がされて来たのかという議論を概観するという意味ではざっと読めば良いが、政策的含意は、政府が賃金制度(この場合、職務給)の改革方針を掲げても、それで企業の制度が変わることはないということなので、これを読んで企業の人事の方が人事制度を考えようとしてもあまり意味がない(ただし、ベースアップと定期昇給の違いが分からないという人は2部を繰り返し読むと良い)。

 この点と関連していうと、戦時期に日本型雇用システムの三種の神器といわれる長期雇用慣行、年功賃金制、企業別組合が強制された(62~63ページ)というのはミスリードで、賃金統制下では総額制限は強制されたが、賃金制度は強制力のない指導行政にとどまった。賃金制度に関しては生産管理および原価計算の進展とも関連させて理解する必要があるが、本書ではあくまで賃金制度だけなのでその点は不十分である。

 本書とは別に、人事システムとしての給与を考える際には、職務給か年功賃金(職能資格給)かという点よりも、業務プロセスのなかで職務分析をやることにどういう意味があるのかを真剣に考える必要がある。製造業が中心だった時代は、賃金は生産管理と不可分だったが、第三次産業が中心になると、こうした視点は見失われやすい。

 第3部の最低賃金における業者間協定、地域、公契約は重要である。メンバーシップ型の企業に閉じてしまいがちな雇用社会のなかで、それを超える可能性があるのがこの3点である。マクロ経済政策としての賃上げは重要だが、賃金に関する政策としての可能性は最低賃金にあると私は思う。だが、最低賃金を理解するためには労使関係を理解する必要があり、労働政策に従事する人は第1部と第2部も必須である。

 連合創立を機に協調的労使関係が完成したと捉えられ、かつての3大労働行政のひとつであった労政は後退した。本書で数多く参照されている労働官僚の先達も労使関係を重視していた。私には、著者が賃金を切り口に、改めて政労使の三者構成の意義を後生に伝えようとしたのではないかと思えてならない。

(濱口 桂一郎 著、朝日新書 刊、税込1045円)

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阪南大学 経済学部 准教授 金子 良事 氏

選者:阪南大学 経済学部 准教授 金子 良事(かねこ りょうじ)
東京大学大学院卒。主な研究テーマは、社会政策史、労働史。著書に『日本の賃金を歴史から考える』(旬報社)。

 レギュラー選者2人とゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にどうぞ。

令和6年9月16日第3465号7面 掲載
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