【書方箋 この本、効キマス】第84回 『そんな言葉があることを忘れていた』 せきしろ 著/すずめ園
「言語化前の感覚」が句に
「春の泥で汚れたバスに乗れなかった人」、「雪を触りたいのか赤子の手」、「晴天なのに静寂の過疎」
こちらは、せきしろさんの自由律俳句集『そんな言葉があることを忘れていた』の中で、わたしが好きな句だ。過去に又吉直樹さんとの共著で自由律俳句集を3作出してきたが、今作が初の単独句集となる。
せきしろさんの句の魅力は、真冬の澄んだ空気のような美しい孤独と、細やかな観察眼にあると思っている。せきしろさんは周りからの人望もあり、やさしい人だが、作品を見ると、誰も立ち入ることのできない孤独を常に心の中に持っているように感じる。今作では「郷愁」がひとつのキーワードになっているが、郷愁は故郷を離れたものにしか感じることができないだろう。故郷に想いを馳せ、自ら孤独に身を置き、静かに過去と目を合わせにいく。そういった静かなる孤独が、郷愁が自由律俳句という形になる前の、観察の時点から生きているのだと思う。
本書は4つのパートで形成されていて、まず季節の句を中心とした「経年」からはじまる。ここでは春の句が強く印象に残った。人物が春を体験しているのではなく、魂だけが春の空気の中をさまよっている幽霊のような質感があった。だからか、やさしく柔らかいまなざしの傍らに、寂しさも感じられた。このままどこかへ行ってしまいそうな危うさがあり、わたしはなぜだか春の句を読み、せきしろさんにずっと元気で生きていてほしいと思ったのだ。
せきしろさんの人柄を感じられる句が多く存在しているのもファンとして微笑ましい。好きな句のひとつに「踏まれた枇杷見る時間を他に充てられない」がある。道に落ちている枇杷に気付かず、踏んでしまっても何も思わない人もいるだろう。しかし、それに気付き、じっと観察する。その枇杷は誰かがあとで食べようと楽しみにしていたものかもしれない。他に充てられない、という表現も切実で良い。
最後の「過古」に登場する自由律俳句は、せきしろさんそのものであると思った。別れの句もあり、読んでいて苦しい気持ちにもなったが、せきしろさんにしか詠むことのできない想いが色濃く現れていて、最も深く心を動かされるパートでもあった。また最後の数句になると、町の灯りがひとつずつ消えていくように、静かに、ゆっくりと幕を閉じていく。読みながら、せきしろさんの独り言のように心の中で再生された。
せきしろさんの句を読んだ時、誰も言語化していなかった感覚を、はじめて自由律俳句という形で目にすることができたという感動があった。定型俳句では表現しきれない、皆が見ている範囲からこぼれた事柄を丁寧にすくってくれる。タイトルにある「そんな言葉」について具体的に触れられてはいなかったが、この本の中では、言葉になる前の何かに自由律俳句という形で出会うことができる。
あとがきには「私は未来に一切興味がない」と書かれていたが、きっとせきしろさんの描いた郷愁は色褪せずに、未来へと読まれ続けるだろう。
(せきしろ 著、左右社 刊、税込2530円)
選者:自由律俳人 すずめ園(すずめその)
1996年東京都生まれ。2019年にアイドル活動から卒業後、自由律俳人に。南海放送で、ラジオパーソナリティーとしても活動する。
レギュラー選者2人とゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にどうぞ。