【書方箋 この本、効キマス】第85回 『あの日の風を描く』愛野 史香 著/神楽坂 淳
絵の復元作業を淡々と
女流作家である。
「女流」とあえて書くのは、この小説が「絵」の世界だからだ。男性と女性では色彩感覚が少し違うらしい。訓練を積んでいない男性は、色彩感覚が女性より少し雑だと言う。
浮世絵なども、一部の絵師を除いて色は女性の仕事であった。版画なので「色指定」である。そして女性が指定することが多かった。
この小説は「絵の復元」をテーマにしているから、女性の色の感覚はかなり重要である。従来絵を描くとなると「絵師」が主人公だが、この作品においては「復元」がテーマになっている。すでにある襖絵の復元である。
ここに着目する人は少ない。労力のわりに地味な仕事だからである。絵の復元というのは単純な再生ではない。
再生と上書きの中間のような仕事だ。そこに模写が入る。つまり、未曾有の天才が華々しく活躍する物語にはならない。
「自分には才能があるのか分からない」という心情を下地にしながら、だんだんと仕事に没頭していく。「才能がどうか」ではなくて「好き」かどうかである。
その心情は「大雑把」に書くわけにはいかない。そこが細やかであるかが「小説」か「読み物」かの差である。
この作者は細やかに描くことは上手い。ということは、たとえばコーヒーを一杯飲むだけでも小説を成立させる力があるということだ。
実際、現代の絵と昔の絵の違いなども細かく描いてある。そして修復する主人公の日常もしっかり書いてある。
何もない日常を淡々と書いているようでしっかりと色濃い中味を描いているので読んでいて飽きさせることがない。そこが作者の実力だろう。
どこを切り取っても、淡々と絵になっている。だから、読者はつい時間を忘れて読み進み、気が付くと読み終わっている。
淡麗水の如しというやつだ。細かい中身を説明するのは野暮な小説なので、読んで確かめてみてほしい。
そして、自分が日常で見落としてしまっている光景がこの小説のなかにあることを「思い出して」欲しいのである。風景にはこんな見え方があったのか――という感情である。
この小説には火のような盛り上がりはない。まさに町に吹いている風のような印象のようなものである。
吹いた、という感触はある。だが、香りと感触は淡い。しかしもう一度読むと香りは強くなるのだ。
主人公の感情も、淡々としているようでしていない。そこが味わい深い。部屋のなかで力を込めて読む小説ではない。しかし移動しているときに何度も繰り返し読むのには向いている。読むたびに別の香りを感じるのではないだろうか。
特別ではない自分だが、少し特別で、しかし気が付いてみるとやはり普通。ただ、時間の流れのなかで何かはなし遂げている。そういう自分になりたいと誰もが思うような「自然体」をこの小説は感じさせてくれる。
この作家さんの深い洞察力や表現力は、今後の作品も楽しみに感じさせてくれるものがある。次回作にも期待したい。
(愛野 史香 著、角川春樹事務所 刊、税込1650円)
選者:時代小説家 神楽坂 淳(かぐらざか あつし)
『大正野球娘。』でデビュー。主な著作に『うちの旦那が甘ちゃんで』、『金四郎の妻ですが』など。
レギュラー選者2人とゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にどうぞ。