【書方箋 この本、効キマス】第89回 『ウナギが故郷に帰るとき』 パトリック・スヴェンソン 著/大島 健夫
自然、個人の歴史に迫る
日本最古の和歌集『万葉集』に、かの大伴家持が詠んだウナギの歌が収録されている。
石麻呂に 吾れ物申す 夏痩せに よしといふ物ぞ 鰻取り食せ
石麻呂(いわまろ)さん、夏痩せに良いというからウナギを食べなさいよ、という、ストレートきわまりない歌である。石麻呂という人は家持の友達で、スマートな体型をしていたらしい。ウナギという魚が栄養があって滋養強壮に良いということは奈良時代には周知の事実だったのだ。
しかし、それを知ったのは日本人が最初ではなかった。古代ギリシアでは、ヒポクラテスが、既にウナギの食べ過ぎは肥満の原因となり良くない、と記述している。洋の東西を問わず、何十世紀にもわたって食べられ続けてきたウナギ。しかし、ウナギはよく知られると同時に謎に満ちた魚でもあり続けた。実のところ、いったいどこで発生するのかということさえ、20世紀に至るまで明らかでなかったのである。
本書『ウナギが故郷に帰るとき』は、その冒頭から、ヨーロッパウナギがサルガッソー海で生まれてヨーロッパ沿岸に辿りつき、川を遡って淡水魚として生き、再び大西洋に泳ぎ出てサルガッソー海に戻り、繁殖して死んでゆくという生活史を、抑制の効いた美しい詩的な文体で描く。以下、奇数章ではウナギの謎を解き明かそうとしてきた古今の人々の姿を、そして偶数章では作者パトリック・スヴェンソン自身の、ウナギを通じた父親との思い出を綴るという構成を取ることによって、さまざまな形で人類を魅了してきたウナギという魚の生態のみならず存在それ自体に迫り、スウェーデンで最も権威ある文学賞のノンフィクション部門を受賞している。
奇数章における、研究者たち、漁師たちのウナギとの取組みは知的ロマンに満ちており、一方で偶数章における作者と父とのかかわりは、そうした人類とウナギとのかかわりそのものを具象化したようでもある。実際、父親は作者に“ちょっと嬉しそうに”こう語るのだ。「妙な生き物だな、ウナギってやつは」。
本書の奇数章はウナギが絶滅の危機に瀕していること、また、なぜ絶滅の危機に瀕しているのかという理由にさえも謎があるという事実で結ばれ、偶数章は父親の死によって幕を閉じられる。この、決して長くない本のページを繰ることで、読者はウナギの背に乗るようにして遠い世界を旅し、過去の記憶を呼び覚まされもする。パトリック・スヴェンソンが迫ったウナギの正体とは、人類と自然のかかわりの歴史と、ありとあらゆる個人の歴史を縦横に編んだものだったのかも知れない。
本書で取り上げられているウナギはもっぱらヨーロッパウナギであるが、ニホンウナギについても言及されている。絶滅の危機に瀕しているという点では、ニホンウナギはヨーロッパウナギよりもさらに厳しい状況にある。ウナギという存在を失いつつある私たちは、これからどのような未来と直面することになるのだろうか。
(パトリック・スヴェンソン 著、大沢 章子 訳、新潮文庫刊、税込880円)
選者:詩人 大島 健夫(おおしま たけお)
2016年、ポエトリースラムジャパンで優勝。詩の朗読のオープンマイク「千葉詩亭」を主催する。ネイチャーガイドとしても活躍しており、近刊に『そうだったのか!里山のいきもの百物語』(メイツ出版)。
レギュラー選者2人とゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にどうぞ。