社労士資格との出会い/かなてつ社労士事務所 代表 松村 裕子
私が社会保険労務士なる職業を初めて知ったのは、子供が小さかった若かりし頃、パートで人材派遣会社に勤めていたときだった。
勤務先は小さな派遣会社の大阪支店で、営業マンが2人、常勤事務員が1人、たまに支店長代わりの常務がふらりと現れるこぢんまりとした職場だった。入社当時、支店管轄派遣社員は100人にも満たず。私の担当は給与計算と社会保険・雇用保険の手続き、総務的なことでのんびり働いていた。
それが2~3年のうちに800人くらいまで派遣社員が増え、その後上場もした。派遣先が増えるたびに給与計算の締切り日が増える。1カ月のなかに末締め翌10日払い、15日締め翌月5日払い、20日締め翌月20日支払いなど、どんどん増える。営業マンが「新規契約取ってきたぞー」といいながら戻ってきた時はみんな拍手で喜んだ。
契約書を作るのも私の仕事で、新しい契約書ファイルを3部作って営業マンに渡した時の光景を今も思い出す。
しかしながら喜んだのも束の間、契約内容のメモを渡された常勤事務の女性が「こんなんできるわけないやんか!」と叫んだ。給与計算が20日締め当月25日払いの製造工場の契約だった。かといって契約は破棄になることもなく、滞りなく給与が支払われるよう、ひたすら計算処理の日々だった。
当時、手続きは離職票も含めてすべて手書きだった。社会保険料は莫大な金額になり、入退職者の保険料明細と年金事務所の請求書(納入通知書)の金額が1円でも合わないと本社会長の決済が下りない。毎月「まだ?」との催促に冷や汗をかいていた。やがて常勤事務の女性が顔面神経痛になり、仕事を続けられなくなった。
代わりに入社してきたのが社労士の資格を取ったばかりの青年だった。常勤事務の女性は引継ぎの1カ月ほどの間、とても楽しそうに新任の若手社労士に引継ぎを行っていた。表情も穏やかになってまるで別人のようだった。
その新任社労士の方に資格のことを教えてもらった。まじめできっちりした方で、ていねいな文字を書かれていた。1年間は一人暮らしで勉強に専念し、1発で資格を取ったという。その時の覚悟と今のやりがいを熱く話されていた。
その後、事務所は遠方に移転した。移転をきっかけに「私も社労士資格を取ろう」と決心し、近くの受験予備校に申込みに行った。あれから長い年月が流れ、今はお客様の諸手続きを電子申請で行っている。たまには手書きで書いて、窓口で並んで提出したくなるときがある。
かなてつ社労士事務所 代表 松村 裕子【大阪】
【公式webサイトはこちら】
https://r.goope.jp/kanatetu/