【書方箋 この本、効キマス】第92回 『トニオ・クレエゲル』 トオマス・マン 著/林家 彦三
青春や芸術に限らぬ煩悶
若手の一ハナシカがこのような本を持ち出して、それも推薦し、かつ論評するという事はいささかおかしいとも思われるが、このハナシカは、元々は恥ずかしながらも小説家志望で、大学では曲がりなりにもドイツ文学を専攻し、今現在もわずかながらも文筆業を行っているということは多少の免罪符になるだろうと思う。つまりははじめに、ハナシカの身の丈に合わぬ事言い連ねる件について、お許しいただきたいのである。
昔の噺家は地方へ行くと、汽車を降りたとたんに土地の猟師に猟銃を突き付けられた。聞いてみれば、ハナシカとカモシカを間違えられていた、ナンテお馴染みの小噺がわれわれの世界には多分に冗談としてこんにちまで伝えられている。この噺は、聞き間違いというお笑いの皮を全体に被ってはいるが、その当時は落語というものが東京のごく一部の芸能であったことを伝えるだろうし、もう少し踏み込むと、ハナシカの噺家自身による卑下の心――ルサンチマンとは言わないまでも――さえも、読み取れるのではないかと思う(そうして勝ち得たものは、ささやかな笑いとなって寄席の空中に雲散霧消して実体さえなくなってしまうけれども)。猪や兎ならともかく、われわれの皮肉は、金にも糧にもならないというわけである。
あらゆる攻撃の手段として、あらゆる銃口(もちろん、言葉の比喩としての)が向けられる。たとえばこの場合には、どうすれば良いのか。逃げるのも一計だが、しかしまず何よりも、私は動物ではない、私は落語家という表現者なのだ、という事を、早く、的確に、大声で猟師に伝えることが最良の策ではないか。言葉という行動、言葉という表現しか、それら誤解を晴らす手立てはないのではないか。
トオマス・マンの代表作はどうしても『魔の山』となるだろうが、この骨が折れる登山をする前には、この短い物語をお薦めしたい。文庫本でも、ごく薄い。訳も多くあるが、今回は実吉訳の岩波文庫版を取り上げた。
私はこの本を学生時代に一度読んで、前座の頃にもう一度読んでみたが、正直、良く理解できなかった。それでしばらくそのままになっていたが、最近ふと読み返して、身に染みるところがあった。それまでの私には、たとえば同じ青春小説と言われるものならばヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の方がより切実であったのである。
自らに巣食う詩林と俗世の葛藤、それがこの小説の主題としてあるが、そういういわゆる二重生活への煩悶は、青春のためだけのものでも、芸術のためだけのものでもないだろう。この物語を読む者は皆、この物語に投影された自分自身の、幼少期から成年へと移り変わる〈言葉の早さ〉を感じるのではないかと思う。
そうしてこの私自身、このような小文を草するに当たっても言い訳からはじまってしまう〈カモシカ病〉を抱えながら生きている、ハナシカである。それを克服せんがためにも、言葉でこそ抵抗しなければならない。言葉で肥え太ることは、読書と内省を止めない限りは、決してないのだろうから。
(トオマス・マン 著、実吉 捷郎 訳、岩波文庫 刊、税込627円)
選者:噺家 林家 彦三(はやしや ひこざ)
福島県出身。2015年に林家正雀に入門、20年に二ツ目昇進。著書に『汀日記』、『猫橋』シリーズなど。
レギュラー選者2人とゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”にどうぞ。