【書方箋 この本、効キマス】第94回 『西洋の敗北 日本と世界に何が起きるのか』 エマニュエル・トッド 著/濱口 桂一郎
能力主義から寡頭制へ!?
本欄でエマニュエル・トッドを取り上げるのは約2年ぶりだが、前回(参考記事=【書方箋 この本、効キマス】第4回 『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』エマニュエル・トッド 著/濱口 桂一郎)の本がトッド人類史の総括編であったのに対し、今回の本はロシア・ウクライナ戦争について世の常識と正反対の議論をぶちかまし、返す刀で米英をはじめとする西側諸国をめった斬りにするすさまじい内容である。なにしろ、ロシアは勝っているというのだ。ウクライナに対してだけではない。ウクライナを支援しているアメリカや西洋諸国に対して現に勝ちつつある。むしろ崩壊の寸前にあるのは米英の方であり、それに巻き込まれているヨーロッパ諸国だというのだ。
トッドは別にプーチンが正義だなどといっているのではない。トッド流の家族構造による世界各国の絵解きからすると、ロシアは中国と同じ共同体家族だが、ウクライナは東欧では数少ない核家族型社会であって、ウクライナがロシア支配を嫌がるのは当然だ。しかし、地政学的にウクライナをロシアから引き剥がそうとする企てはウクライナに悲劇をもたらす。
そこから話は西洋諸国への批判に向かう。西側の政治家や知識人はロシアの専制主義に対して西洋の自由民主主義が闘っていると思い込んでいるが、実は西洋のリベラル寡頭制とロシアの権威主義的民主主義との闘いなのだ。そして今崩壊の危機に瀕するのは西側諸国の方だ、というのが彼の主張である。彼が描き出すアメリカの姿は、不正義の勝利、知性の崩壊、そして能力主義の終わりによる寡頭制とニヒリズムの世界である。
それゆえに、とトッドはいう。西洋(west)ではないその他(rest)の世界はみんなこの戦争でロシアの側に立っている。正義の西側ではなく大悪党のはずのロシアを支持しているのは、正義面している西洋が今までさんざんぱらその他の諸国を搾取してきたからだ。そして世界的には少数派に過ぎない家族構造の米英仏が、LGBTQなどの思想を強制することに苛立っているからだ。西側から見ればスキャンダラスに見えるプーチンの反LGBTQ政策は、世界の大部分の諸国にとってはあまりにもまっとうな考えであり、これこそがロシアの「ソフトパワー」だという。共産主義のソビエトが敵に回していたユーラシアの大部分の諸国にとって、プーチンの保守主義ロシアは何の心配もなく仲良くやれる「いい国」というわけだ。いや直系家族の日本でも、ラーム・エマニュエル駐日米国大使によるLGBTQの押しつけが保守主義の反発を生み出しているではないか、と。
本書の原著は2023年7~9月に執筆されたが、邦訳はそれから1年以上経って刊行された。「日本語版へのあとがき」の中で彼は、本書は「未来予測の書」として書かれたが、今やウクライナの敗北は明確になり、本書はより古典的な意味で「歴史を説明する書」となったと語っている。これに反発する人も多いであろうが、喧伝された反転攻勢はうまくいかず、遂にアメリカでプーチンに親近感を隠さないトランプ大統領が再選した今、彼の本はいかに不愉快であろうが読まれなければならないはずである。
(エマニュエル・トッド 著、大野 舞 訳、文藝春秋 刊、税込2860円)
選者:JIL―PT労働政策研究所長 濱口 桂一郎
濱口桂一郎さん、大矢博子さん、そして多彩なゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”に是非…。