【書方箋 この本、効キマス】第96回 『藍を継ぐ海』 伊与原 新 著/大矢 博子
壮大な営み伝える短編集
今月15日に発表された第172回直木賞。受賞した伊与原新『藍を継ぐ海』は候補作のなかでも私のイチオシだったので実に嬉しい。
著者の伊与原新は1972年生まれ。東京大学大学院で地球惑星科学を専攻し博士課程を修了。富山大学理学部で助教として勤務する傍ら小説の執筆を始め、2010年に横溝正史ミステリ大賞を受賞した『お台場アイランドベイビー』で作家デビューという異色の経歴を持つ。
以降、著者ならではの科学知識と人の営みのぬくもりや切なさを融合させた作風で人気を獲得、「伊与原新しか書けない」と言われる世界観を確立した。定時制高校の科学部の活動を描いた『宙わたる教室』が昨年NHKでドラマ化され、好評を博したのをご記憶の方も多いだろう。
今回、直木賞を受賞した『藍を継ぐ海』は北海道から九州まで日本各地を舞台にした作品が5篇収録された短編集である。これがまたどれも、まさに伊与原新らしい物語ばかりなのだ。
第1話「夢化けの島」は山口県萩市の離島、見島が舞台になる。もともと火山島だった見島の地質を研究する地質学者が、萩焼の土を探す奇妙な青年と出会う物語だ。主人公も青年もそれぞれ悩みを抱えているが、見島の特異な地質に触れるうちに、それぞれのめざす場所を見つける。
また、「祈りの破片」は長崎県の長与町役場で働く青年が、空き家に灯りが見えるという訴えを聞いて調査に赴く物語。そこで彼が見たものは原爆によって表面が溶けたり焦げたりした岩石やコンクリート片、金属片などの膨大なコレクションだった――。
他に、奈良県吉野の山奥でウェブデザイナーが狼のような獣に遭遇する「狼犬ダイアリー」、北海道遠軽町での隕石探しと廃止の決まった郵便局のドラマを描く「星堕つ駅逓」、徳島県の阿須町でウミガメの産卵を自らの家族に重ねる女子中学生の「藍を継ぐ海」が収録されている。
すべてに共通するテーマは〈継承〉だ。何万年もの地殻変動で誕生した島の土が、現代の陶器になる。アイヌの言葉で名付けられた北海道の地名の意外な意味。徳島で生まれ、海に還り、そしてまた戻ってくるウミガメ。80年近く経った今も語り継がれ、未来に向けても忘れてはならない原爆の痕。
どの町にも歴史があり、そこに暮らす人々にも歴史がある。そこで暮らす人々の日々の営みを細やかにすくいあげるとともに、そこに地質や宇宙や海流といったスケールの大きなモチーフを組み合わせることで、土地も人間も単独で存在しているのではなく、何万年も続くこの世界の一部なのだと思い出させてくれるのだ。
ひとつひとつの物語は地味かもしれない。けれど私たちが自分の町で送る地味な毎日の背後には、歴史があり地球があり宇宙がある。そんな当たり前の、けれど忘れてしまいがちな壮大な営みをこの短編集は今一度伝えてくれる。そんな世界の片隅で、悩みを乗り越えて成長する主人公たちに励まされる。人はひとりで生きているのではない。これぞ伊与原新の真骨頂だ。
(伊与原 新 著、新潮社 刊、税込1760円)
選者:書評家 大矢 博子
濱口桂一郎さん、大矢博子さん、そして多彩なゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”に是非…。