【書方箋 この本、効キマス】第99回 『王将の前で待つてて』 川上 弘美 著/荻原 裕幸
求人欄風の一句も
川上弘美さんの2冊目となる句集『王将の前で待つてて』が集英社から刊行された。川上さんは作家だけれど、小説とほぼ同じ長さの句歴をもつ俳人でもある。2010年に刊行された第1句集『機嫌のいい犬』も昨秋に文庫化された。このたびは、第1句集以後の活動から200句を超える作品を選んで構成している。加えて、30年間の自作30句にエッセイ風な自註を付した「自選一年一句」と、自身が俳句に入門した経緯から現在に到る春秋をあとがき風にまとめた「俳句を、始めてみませんか」を併録して、川上弘美の俳句ワールドがこれだけでもしっかり堪能できる1冊に仕上がった。
〈花あふひなじみになると店変へる〉
この「あふひ」は旧仮名遣い。あおいと読む。葵の花のことである。夏の花。ゲージの目盛が上がるような感じで、茎の下の方にある蕾から順に上へと咲きのぼる。せっかく馴染みの客になったのにその店に行かなくなるのは、どこかあまのじゃくな感覚なのだろうか。日々忙しく、こころの余裕がなくて、店員とことばを交わすのも面倒だという人は時々いるので、この場合、そちらが近い気もする。機械的な対応がむしろ気楽なのだろう。葵が上まで咲きのぼった頃が、次の店を探すタイミングということのようだ。
〈求ム雪女郎初心可細面年不問〉
片仮名と漢字だけの字面、重々しくも見えながら、内容は案外シンプルな求人欄の文面風にまとめた一句である。雪女郎=雪女は冬の季語だが、これはたぶんお化け屋敷の求人なのだろう。雪女なのに「初心可」とか「年不問」とか奇妙で緩い条件に笑ってしまうし、そこだけは「細面」と限定して来るのにも笑う。雪女役のアルバイト募集だと思えば、不思議でも何でもないのだけど、本物の雪女(この世に存在するかどうかはともかく)が、夏場の暮らしのために仕事を検討している姿が想像できるのが楽しい。
〈行きよりも帰りが遠し草苺〉
〈こたつ寝に数独解くや仕事せな〉
〈靴の紐結ぶ落花に尻おいて〉
これらの句には、少年少女期を思わせる懐かしさが含まれていて、それでいて大人になっている現在もあまり変わらないものだと思う。不思議な時間の感覚である。若さではなく幼さとのつながりから来る懐かしさのありように川上さんらしさが見える。
〈王将の前で待つててななかまど〉
表題にもなっている一句。この王将は、将棋のそれではなく、餃子のチェーン店のそれかと思われる。スタバでもサイゼリヤでもなく、餃子の王将であるところに独特の味わいがあって面白い。前述の句から察するに、まだ王将は「なじみ」ではないのかな。ななかまどは漢字にすれば七竈。紅葉と果実が秋に映える。その木材を七たび竃に入れても燃え残るというのが由来らしい。待ってもらう相手との関係性を言っているのだろう。
(川上 弘美 著、集英社 刊、税込2145円)
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歌人 荻原 裕幸 氏
選者:歌人 荻原 裕幸(おぎはら ひろゆき)
「東桜歌会」を主宰、同人誌『短歌ホリック』発行人。歌集に『永遠よりも少し短い日常』など。
濱口桂一郎さん、大矢博子さん、そして多彩なゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”に是非…。