【ひのみやぐら】感情刺激する公衆災害
運が悪いとしかいいようがない――。公衆災害が社会的非難を浴びやすいのは、被災者に全く落ち度がないのにもかかわらず、怠慢ともいえる不安全な管理により、災害に巻き込まれてしまう点だろう。被災者が子供や老人など社会的弱者だった場合、風当たりはさらに強まることになる。
英国の学者、ジェームス・リーズンが提唱するスイスチーズモデルが示すように、災害はさまざまな要因が重なりあって起こる。必ずしも作業者の責めによって災害が起きたわけではないにせよ、何らかの行動が指摘され、災害を調査するうえで、ヒューマンファクターの要素が排除されることはないだろう。企業の責任が厳しく追及される時代になったとはいえ「ケガと弁当は自分持ち」という意識がいまだ根強く残っていることを、完全に否定することはできない。
一方で、公衆災害は理不尽さゆえ、世間の感情を刺激しやすい。岐阜市の工場解体工事現場で2010年10月14日、工場側壁が倒壊し、その敷地に隣接する市道を通行していた高校2年生の女子学生が下敷きになって死亡した災害が起きている。何の責任もない女子学生が、解体業者の作業手順が悪かったばかりに、死亡という最悪の結果を招いてしまった痛ましい事故は社会的にも大きな注目を浴びた。前途ある若者が亡くなったことや両親の無念を思い、胸を痛めた人は少なくないだろう。
奇しくも6年後の同日、東京・港区のマンション工事現場で、鉄パイプが落下して通行者の頭を直撃して死亡する事故が発生した。被災者は妻と2人で現場を通行していたが、工事で幅の狭くなった歩道は1人ずつしか通ることができなかった。妻の後を歩いていた被災者だが、突然、鉄パイプが落ちてきて頭に直撃し、血が吹き出して死亡したという。事故後、妻はなぜ自分が先に歩いてしまったかと悔いたという。
事故というものは、それを発生させるまでに原因があり、起こるべきして起こるものだが、被災者にとって公衆災害は、ありえない事象である。理不尽さを強く感じるからこそ、社会が激憤を抱きやすい。