【書方箋 この本、効キマス】第102回 『京都四条 月岡サヨの小鍋茶屋』 柏井 壽 著/神楽坂 淳
“料理屋小説”の真骨頂
小説のお手本のような小説である。キャリアからしてもそうなのだが、小説をこの人のように書くのは大変だ。
小説というのは握り飯のようなもので、力を込めてぎゅうっと握るとなんとなく形になる。しかしそうすると梅や鮭の味はしても、米の味は死んでしまって塩むすびなどはまずくなってしまう。かっちりとぼんやり握ると米の味がうまく生きる。
この人の小説はまさにふんわりと書いている。路地にしても風景にしても料理にしても。さらには主人公にしても「書き過ぎない」のが特徴だ。一歩引いた出汁の味で読ませるような小説である。
控え目だからするすると世界が頭の中に入ってくる。頭で考えなくても耳元に語りかけててくれるような作品だ。
今回のテーマは「小鍋料理」である。「鍋」ではなくて「小鍋」である。小ぶりな鍋で作る料理は「鍋」とは少し雰囲気か違う。
具材は「しゃも」である。さまざまな鍋があるが、しゃもの味は格別である。幕末が舞台なのだが、当時は鶏はあまり食べられていない。鍋というと鴨などが多かった。しゃもは身が締まっていて、肉の旨味も濃い。だが読者に旨味を押し付けるわけではなく、主人公の出自や成長を絡めながら「美味しく」読ませている。
何話かで構成されている小説で、2話は「鰻鍋」である。昔もだが、現代でも「鰻鍋」はあまりない。
素材の選び方もだが、「値段」にこだわっているところも良い。一人五百文。食材が何であれ値段は一律である。「儲からないだろう」と客が心配して多めに払っても突き返してしまう。この「客に払わせすぎない」というこだわりが、料理人としての主人公に背骨を通している。
主人公サヨの人格が料理にも影響を及ぼしているから、サヨの成長がすんなりと入ってくるのも良いところだ。
主菜もだが、前菜に出す料理もいかにも京料理で、舞台の京都をうまく表している。野菜にしても芋にしても、京都の食材は独特である。関東のものとは味が違う。そもそも品種が違うのである。
関東の人間には想像しにくいところがある。たとえば、鰻鍋では鰻を一度焼いてから煮るのだが、ただ炭火で焼くのではなく、強火にせずにじっくり焼く…という調理の工夫を描いている。
今日店を予約したいな、と思わせるのが「料理」ではなく「料理屋」小説としての真骨頂だといえる。素直に「美味しそう」と思える料理を描くには筆力がいる。料理への造詣もいる。どちらも兼ね備えているのは素晴らしい。
この作品は「緻密」にできているのにそれを感じさせない。そして京都の小説に、江戸や土佐といった地方との文化の差も織り込んである。幕末の京都という全国から人が集まるという特徴をうまく使っている。
何か美味しそうな小説を読みたい、と思っている人は手にとって欲しい一品である。「一冊」ではなく「一品」と表すのがこの小説には向いている。是非、手にとって味わっていただきたい。そして京都に足を伸ばして料理を味わうことをおすすめする。
(柏井 壽 著、講談社 刊、税込814円)
選者:時代小説家 神楽坂 淳(かぐらざか あつし)
『大正野球娘。』でデビュー。主な著作に『うちの旦那が甘ちゃんで』、『金四郎の妻ですが』など。
濱口桂一郎さん、大矢博子さん、そして多彩なゲストが毎週、書籍を1冊紹介します。“学び直し”や“リフレッシュ”に是非…。