【見逃していませんか?この本】自他を傷付けずに上手く立ち回るには/フランコ・ベラルディ(ビフォ)『大量殺人の“ダークヒーロー” なぜ若者は、銃乱射や自爆テロに走るのか?』
ある種の犯罪行為には、その時代特有の社会や文化の負の側面が刻印されていることが珍しくない。本書のタイトルは一見センセーショナルだが、中身は現代を支配している構造について真面目に論じたものだ。
フランコ・ベラルディは、21世紀に入って相次いだ大規模な銃乱射事件などが、金融のグローバル化で猛威をふるう経済システムや、それらの衝撃に対応できず機能不全を起こす政治システム、価値が多様化し個人化が進む生活空間の変容など、「われわれの時代の主要な傾向を、極端な形で体現している」と考えている。
犯罪行為をそのような文脈で捉えることは特に目新しくない。本書が秀でているのはそこに「自殺」という要素も付け加えたことだろう。それは、著者の表現を借りれば、(無関係の他者を巻き込む形で)自らの生命を犠牲にすることで、「日常の地獄」から脱出しようとする試みである。米国で社会問題となっている銃乱射事件や、世界中に拡大する自爆テロの背景には、絶望に対する捨て身の表現行為としての一面があるという。2013年に起こった退役軍人による銃乱射事件について、「大量殺人は一種の人を介した自殺のために行われていることがある」と述べた当惑気味の分析にそれが示されている。
本書はこのほか、アジアの情勢にも目を向け、経済的な要因が精神に与える影響に重点を置きながら、日本や韓国、インドにおける自殺の実態にも言及している。
だが一方で、気が滅入るような世界の現状を告発することは「必ずしも私の目的ではない」と述べ、「われわれに求められるのは、告発する代わりに漏出線(逃走線)をつくることである」と主張する。それは、不安定性という掟が支配するジャングルで、「(われわれを取り巻く腐敗や暴力や不安から)自立した主観性を、どのように創造することができるか?」――ということを意味している。
ベラルディは、いわゆる楽観主義者ではないが、懐疑と反抗というアイロニーの可能性を信じている。つまり、殺伐とした社会の中で、自他を傷付けることなく、用意周到に立ち回ることは果たして可能か? そんな難題に挑むすべての人々にエールを送っているのだ。(N)
◇
杉村昌昭訳、作品社・2592円/Franco Berardi(Bifo) 思想家、メディア・アクティヴィスト。『NO FUTURE ノー・フューチャー』(洛北出版)など