【ひのみやぐら】50周年迎えた災防団体
秋は災防団体が安全大会を開催するシーズンだが、今年は少々意味合いが違う。労働災害防止団体法が昭和39年に施行され、中災防などの災防団体は50周年を迎えた。各団体は記念大会として位置づけ、先人たちの偉業をたたえるとともに、新たな課題に対して真っ向から取り組むことを誓った。
中災防が発行している記念誌「50年のあゆみ」によると昭和38年8月、同協会の創立総会が行われた。時間を少しさかのぼると当時の状況としては昭和30年11月に北海道の雄別炭鉱でガス爆発があり60人が死亡する事故が起き、同31年8月には岡山市の日本興油工業で蒸留タンクの爆発により11人が亡くなっている。当時は休業8日以上というカウントだが、死傷者の増加はとどまることなく約40万人に達していた。
続発する大規模な災害や労働災害の激増に対して国は、ボイラー及び圧力容器安全規則(昭和34年)、じん肺法(同35年)、クレーン等安全規則(同37年)など次々と法令の制定・改正を行う。その成果もあり、労働災害は減少していくものの、依然として死亡者は6000人台で推移するなど停滞期に陥った。もはや法改正だけでは限界があるとみられたころ、事業主の自主的な安全衛生活動に目が向けられるようになる。こうして自らが進んで活動する団体の設立を内容とした「労働災害防止団体等に関する法律」が制定され、中災防が産声を上げた。
その後、災防団体が行う事業が安全衛生にどれだけ貢献したかは、説明するまでもないだろう。当時に比べれば災害件数自体も大幅に減少したが、景気低迷期の安全管理体制の縮小、メンタルヘルス不調者の増加など新たな課題も少なくない。災防団体の役割は、ますます重要になる。