【ひのみやぐら】“外国人”で括らぬ対応を
やはりというべきか、外国人が労災に遭うケースが増えている。2018年に仕事中に被災した外国人は2847人で、前年の2494人から14.2%の増加、それも7年連続右肩上がりで増え続けている。国が集計を取り始めた2015年以降、被災した外国人のうちの2~3割が技能実習生であることも分かっており、その数、直近の2018年は784人(27.5%)だった。こちらも過去最高を更新中だ。
今春からスタートした「特定技能」制度により、それらの数字が飛躍的に増えやしないかと危惧する声が聞かれるのはご承知の通りである。人手不足を補うことが制度の目的であり、人手不足の原因は、とりわけ危険だったり処遇が低かったりする仕事だから。そこに輪を掛けて「言葉」の問題などが絡んでくるのだから、今後の増加が見込まれても全く不思議ではない。
対策が急がれるなか、国や災害防止団体、各業界団体などが進めている関連方針やマニュアルの策定、また、誰にでも理解しやすい安全標識づくりなどは確かに重要だ。だが、外国人の労災防止にこれほど気遣う国も珍しいのではないだろうか。皮肉に言えば「おもてなし」の一環にもみえるが、一人足りとも失えないほど現場の労働力が不足していることの証左かもしれない。
難しいのは、日本人とは“感覚”が違う外国人の存在である。国際労働組合組織が東京オリンピック本会場の建設現場で働く複数のアジア系外国人作業員たちから不満の声を拾ったところによると、「あれもダメ、これもダメとばかり言われて作業しずらい」とこぼしていたとする本誌姉妹紙・労働新聞の記事もあった。仮に「日本の現場はやりにくい」と敬遠されてしまっては、人手不足対策それ自体が成り立たなくなってしまう。
ふた月前の6月15日号で安全衛生の母国ともいえる英国についてのコラムを書いてくれた末松清志さん曰く「国民の多くが自分でリスクを判断し自己責任で行動しているようだ」と、彼の地を訪れた印象を記していたのも非常に印象的である。
つまり、「外国人」で一括りにしない、もっと綿密な対策が必要かもしれない。